
五 反 田 へ よ う こ そ ! ◆女性を取材(サンケイスポーツ紙上でも掲載)したお店の紹介です |
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『月の真珠 -五反田-』
・業種 / 人妻・若妻デリヘル |
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『私はキャサリン』
・業種 / マニア女装M性感 |
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『シルキータッチ』
・業種 / 乳首愛撫専門店 |
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『人妻マル秘伝説』
・業種 / 高級人妻性感 |
とりわけ、オールド風俗ファンにとってはSMの街という印象が強かったのではないだろうか。 夜中になると毎夜、あまりにも酷い仕打ちに耐えきれなくなって、女の子がホテルから裸足で逃げ出してきて、 その度パトカーが繰り出されていたなんて話をよく耳にしたりしていたんじゃないのかな。
山手線の外側、駅脇の広い道路(桜田通り、国道1号線)を目黒方面に線路沿いとその一つ内側の道を歩いていくと、 ここにもラブホが幾軒か連なって建っているのが見受けられる。 かつてビルごとヘルスで、今はソープランドに変わった建物も目につくはずだ。
でも、五反田というとITベンチャー企業が集まっていて、シリコンバレーにちなんで「五反田バレー」だなんてイメージを抱いている人も最近では少なからずいるに違いない。
五反田といっても、もともと隣の大崎にも町名的には五反田(西五反田)ってあるし、何を基準にするかによってだいぶ印象も変わるのかも知れない。
何せ、風俗街を少し歩いていくと高台にぶつかって、その高台の上なんかは高級住宅街になっている。
かつてはそこに島津藩の屋敷があって、旧島津藩本邸(国の重要文化財)は現在、清泉女子大の本館になっている。
桜田通りを挟んで、やはり坂の上の方も池田山公園や『ねむの木の庭(上皇后階下のご実家・正田邸の跡地)』などのある高級住宅街。
桜田通りを登り切った先は、高輪台とか白金台だ。
◆五反田という地名と五反田駅
『五反田』とは、田の面積に由来する(目黒川の谷周辺に水田が5反あった)地名であったという説が有力で、
もともとは『上大崎村』の字(字五反田)であった。
あたり畑一帯だったこの地が変化したのは、明治44年(1911年)に山手線の前身である日本国有鉄道の五反田駅が開業してからだ。
まだ環状線ではなかったけど、明治18年(1885年)に品川駅が開業、同年に目黒駅も開業、そしてその16年後に大崎駅も開業して沿線の人口も増加。
市街地化も進んで、大崎と目黒の間にもう1駅設けようということになった。 それが五反田駅(明治44年)だ。
五反田という駅名は、大崎駅周辺が五反田とよばれていたことから、その名前を駅名にとった。
駅が出来れば民家や商店も次第に増えていく。
おまけに、もともと田園地帯だったとこっろに鉱泉が発見されて旅館が出来、やがてそこに麻布から芸者置屋が移転してきて料亭などが増えた結果、 大正12年(1921年)に二業地としての許可も受け、やがて関東大震災後に他地区からも業者が入り込んで来て、 三業地(1925年、最盛期=芸者屋58軒、芸者220人、料亭松泉閣など25軒、待合45軒)、花街としても賑わいを見せるようになる。
この五反田を含む現在の品川区、大井町方面から大崎、荏原町付近が、第一次世界大戦後に工業地帯として発展していった町でもある。
沖電気他、大きな工場もあったけど全体とししては小さな町工場が多く、太平洋戦争時にはその多くが軍需産業の部品造りへの転換を余儀なくされた。
品川寄りだけど、米軍からはじめて空襲を受けたのは(ドーリットル空襲。1942年4月18日、真珠湾攻撃の翌年)この一帯。
ここが一大工業地帯だったからだろうとは思われている。
B29が連隊組んで日本各地を爆撃して行った頃のではなく、少数機での真珠湾奇襲の報復としての空襲ではあったみたいだけど。
もちろん、B29による空襲が日本各地頻繁になってからも、この五反田地区をはじめ品川区一帯も工業地帯ということで攻撃の標的にされ、
焼き尽くされた(昭和20年4月の3回に渡る空襲では家屋1万5000戸以上が全焼した)。
戦後、あちこちに闇市がたった頃、ここ五反田駅前から池上線に沿っても露店が軒を連ね出した。
撤去令後は池上線高架下、山手線と目黒川に挟まれた一帯に軒を移す。
そして朝鮮戦争特需によって、花街としても復活を遂げる。
その後の五反田はどういう推移を辿っていったか、売春防止法が施行されれば当然街の様相ごと変わって行く。
性風俗産業の聖地のように言われ出したのは、1980年代のことだ。
現在に至る風俗としての五反田のことを記す前に、五反田のJR線以外の足についても簡単に書き記しておく。
◆東急池上線、都営地下鉄浅草線
池上電気鉄道(現・東京急行電鉄)の池上線(五反田〜蒲田間)が開業したのは昭和3年(1928年)だ。
現在、高架駅のJR線ホームからも池上線に通ずる通路があって五反田終点とはなっているけど、
もともとは五反田の300m一つ先の駅「大崎広小路駅」から高輪方面に延長する予定だったみたいだ。
2つ先には「戸越銀座駅」がある。
地名に「銀座」という名前を一番最初につけた街だそうだ。
JR駅の改札、駅舎を出てすぐの地下へ潜って行く入口があるけど、これが都営地下鉄浅草線(旧名 = 都営1号線)だ。
昭和43年(1968年)の開業。
なお、かつては五反田駅前〜銀座二丁目間に、都電4系統が走っていた。
◆風俗の街と言われて
もともとが三業地だった(現在の風俗街がその跡にそっくりあるわけではない)街だし、時代の流れに沿って、
料亭・置屋等の建物ががサロン等に変貌していったとしても不思議はない。
80年代頃にもなると、五反田は都内でも有数な風俗地帯として名を馳せ始めた。
山手線の外側地域は、今は目黒寄りの道にラブホが目立つ他はソープが1軒あるだけだし、風俗街という印象はない。
むしろラブホも繋がって建っているわけではなく、他の建物との間に点在している感じだで、ひっそりとした佇まいだから
人目を忍んで密会するには都合のいい場所なのかも知れない。
かつて、プロ野球選手と欧米系美人ニュースキャスターだった不倫現場の写真を撮られたのも、ここのホテルだったらしい。
山手線の内側に広がる風俗地帯、といってもソープとかヘルスとかの派手な看板があるわけでもないし、
知らない人がこの街を見ただけではキャバクラとかの呼び込みが立っていたり、やたらラブホがあるなとか、そういう街としか映らないかもしれない。
「花びら回転」を始めて誕生させたのが、ここ五反田のピンサロだった。
ところどころ飲み屋も点在するし、そういう街だとは思うだろう。
ただし、風俗通の間では少なくとも風営法改正前まではSMの街としてのイメージが強かった。
1995年に、SM風俗グループ『パラダイス』の慶応出身経営者が殺害された事件があった。
従業員兄弟等が組んで店を乗っ取ろうとした当時話題になった事件だ。
それがきっかけで五反田がSMに特化した街だという印象が持たれるようになったし、SM店が五反田に増えだしたという説もある。
この街紹介の冒頭、夜な夜なホテルからM女さんが逃げ出してきてパトカーが繰り出されていたという話は、
五反田で古くから営んでいる性感マッサージ店の女性オーナーから聞いた話だ。
SM店で、M女さんを吊るして突き出ているお尻を犯すという空中アナルファックが考案されたのもここ五反田のSM店からだったみたいだ。
SM店は、閑静なマンションの1室で密かに繰り広げられていたり、或いはホテルからM女さんが裸足で逃げ出して来たりしていたのは出張系だから、
普通の人の目に触れることはあまりなかったのかも知れない。
マンションルームでのSM店は、風営法改正後に絶滅した。
現在、高層ビルやタワーマンションが建ったり、いろいろな街の様相が変わりつつある。
ここ五反田といえば、外観こそあまり変化がないようにも見えるが、何か内部で蠢くように変わりつつあるような気もする。
風俗はじめ、ますます雑多な波が静かに押し寄せてきて、デリヘルが増えているような気がする。
それに伴って、ラブホが増えている。
気をつけてみていると、1階はまったく別な様相をしているのに、その雑居ビルの何階かがホテルとして営業を始めていたりする。
品川にはラブホはないし(品川発のデリヘルというとイメージがいいので多くあるけど、実際は事務所があるのは五反田かどこかだ)で、
他から移動してくることも多いみたいだ。
かつて駒込には6〜7軒のラブホがあったけど、今はゼロ。
デリヘルの事務所もほとんどが巣鴨か大塚に移っていった。
その巣鴨もラブホが1軒店じまいして先行き心配している老舗デリヘルの女性オーナーもいる。
そういう意味では五反田は逆で、風俗が寄って来始めている。
ある某店の女性オーナーが言っていたが、ゲイなんてなかったのにハッテン場まで出来たのよと。
確かに、風俗地帯の奥まったあたり高級住宅街になっている高台の少し手前の辺りの雑居ビルの2階に
(階段で入って行く)外からはわからないようにしてゲイのハッテン場が営業を始めている。
その隣も新しいラブホだ。
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※参考にさせてもらった文献
・松本典久著『JR山手線の謎 2020』(実業之日本社 / 2018年刊)
・朝日新聞社会部編『東京地名考・上』(朝日文庫 / 昭和61年刊)
・篠宮幸男著『ぶらり東京 山手線』(三一書房 / 1992年刊)
・竹内誠編『東京の地名由来事典』(東京堂出版 / 2006年刊)
・吉田之彦・渡辺晋・樋口州男・武井弘一編『東京の道事典』(東京堂出版 / 2009年刊)
・吉川文夫著『東京都電の時代』(大正出版 / 1997年刊)
・松本泰生著『東京の階段』(日本文芸社 / 平成19年刊)
・平野栄次著『東京史跡ガイド(9)品川区史跡散歩』(学生社 / 1993年刊)
・藤木TDC著『東京戦後地図・ヤミ市跡を歩く』(実業之日本社 / 2016年刊)
・泉麻人著『東京23区物語』(新潮文庫 / 昭和63年刊)
・泉麻人著『新・東京23区物語』(新潮文庫 / 平成13年刊)
・三浦展著『花街の引力 東京の三業地、赤線跡を歩く』(清談社Publico / 2021年刊)
・星野博美著『世界は五反田から始まった』(ゲンロン / 2022年刊)
・現代風俗研究所著『日本風俗業大全 - 欲望の半世紀』(データハウス / 2003年刊