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廉価店(デリヘル)特選  ・60分1万円以下
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巣 鴨 へ よ う こ そ !

◆女性を取材(サンケイスポーツ紙上でも掲載)したお店の紹介です

誘惑マル秘ミセス 『誘惑マル秘ミセス』

・業種 / 40代〜60代専門デリヘル
・地域 / 巣鴨発
・電話 / 03-5972-1944
・営業 / 11:00〜21:00(年中無休)
・料金 / 70分10,000円〜

癒しの熟女・夢 『癒しの熟女・夢』

・業種 / 人妻熟女デリヘル
・地域 / 巣鴨発
・電話 / 03-5980-8852
・営業 / 10:00〜18:00
・料金 / 60分10,000円〜

すがも美療 『すがも美療』

・業種 / 性感
・地域 / 巣鴨発
・電話 / 03-5319-4434
・営業 / 12:00〜22:00(土曜21時まで。日曜休)
・料金 / 一律60分16,000円

かぐや本舗 『かぐや本舗』

・業種 / 出張匂いフェチ専門店
・地域 / 巣鴨発
・電話 / 03-6325-3563
・営業 / 12:00〜24:00。年中無休
・料金 / 45分12,000円〜

巣鴨の街情報です
【巣鴨の街印象・街模様】 ◆巣鴨駅南口方面  巣鴨といえば、だいたいの人が『とげぬき地蔵』とその商店街がある北口の賑わいの方を思い浮かべるに違いない。 駅周りからして寂しい、人の行き来も北口と比べちゃうと断然少ない南口は、そこの住民等以外は 用事がなければわざわざ尋ねるに値するような場所もないような地域だ。
 駅を出て左すぐにスーパーがあって、それよりすぐ南側のところに、日本で初めて ミシュランから一つ星をもらったラーメン屋さんがある。 わざわざそこ目当てに尋ねて行く人がいる場所・店といえば、そのくらいしか思い当たらない。 右側をJRの山手線の線路と縦に交錯している白山通りに面している商店も、その近辺の雑居ビルから 吐き出されてくるサラリーマンやOLさん達でかしましくなる昼休み時以外は、人通りもさしてないせいか、 車がひっきりなしに流れている以外、何か通り全体が閑散として感じられる。

 だからこそ、こっち側の方がなおイイんだ。 そうおっしゃる方は多分、鼻の下が長い御仁。 風俗ファンにとっては、人目にもつきづらい、こっちのエリアこそが嬉しいパラダイスに見えてきちゃうんと違うだろか。 そう、駅脇の白山通りの交差点を渡ってすぐ奥の裏道にラブホが2、3軒かたまってあるし、 人の行き来もほとんどないので入りやすい。 駅北口から出て白山通りに出れば、駅脇の線路を跨いでいる歩道橋の向こうに、そのラブホの看板の一部が見える。
 さらに歩道橋を半ばまで進むか駅南口に出るかすれば、白山通り左側にあるラブホの看板を見ることも出来る。 白山通りと並行に走る左の裏道にピンサロが何件か並んでいて、さらにその左の方にラブホが3軒ぐらいあるのだ。 そう、巣鴨でデリヘルなんかで遊ぼうと思えば、いずれにしろこの南口ってことになる。
(ピンサロは、北口白山通り、地蔵通り行く左側じゃなくて、右の路地を入ったところにもあるけど。 そういや、北口出て白山通りを渡って左、線路沿いの道にところにも1軒ヘルス【風営法改正前からの許可店】 があったんだけどいつの間にか消えちゃったね)
 っていうことで、巣鴨のデリヘルって言えば『おばあちゃんの原宿』って言われている街だし、 とげぬき地蔵の近くにラブホがあって、そのラブホにおばあちゃんが尋ねて来て白いトゲでもヌクんじゃないかって 思っている人がいたら、それは勘違いだよ。 もちろん、愛称にピッタリっていうおばあちゃん(60代、70代)がたくさんいるデリヘルも少なからずあることはあるけど。

◆巣鴨駅北口方面  巣鴨といえば、地元の人・勤め人以外の人は、来たことのある人もない人も、思い浮かべるのは 駅北口にある『とげぬき地蔵』とその商店街、それにそのネーミングの『おばあちゃんの原宿』だけと 言っても過言ではないと思う。
 1987年〜88年にかけて日本生活学会の有志によって行われた巣鴨とげぬき地蔵に対する考現学調査報告によれば、 人の流れっていうかおばあちゃんの流れは、「巣鴨駅を出て→駅前の横断歩道を渡り→駅前商店街を通って→ 地蔵通り商店街の左側を歩き→高岩寺→地蔵通り商店街を経て→駅前商店街→横断歩道→巣鴨駅 (行きはセカセカと高岩寺へまっすぐ、帰りは商店を覗いたり買い物したり摘み食いしたり、行きのほぼ3倍以上の 時間をかけてゆっくり)」ということなのだけど、その人の流れは今もほとんど変わってないと思う。
 駅を出てすぐの横断歩道じゃなくて、その一つ先の横断歩道の手前、白山通りの右側のところに少し前まで、 昭和というか古い演歌専門のカセット・レコード・CDなどを売っていた店があって、音量大きく演歌の音が絶えず流れていたし、 その店の前で時々売れてない演歌歌手がお立ち台の上に立ってマイクを手に、宣伝かねて新曲披露なんかよくしていたのも 巣鴨の一種風物詩のような趣があったんだけど、今はその店もなくなってしまって歌声が響いてくることもなくなり、 ちょっと寂しいなんて人もいるかも。
 でもその白山通りの右側は商店の連続性もなくて、その2つ目の信号を越してしまうと、地蔵通りへは階段を登って 歩道橋を渡るしかなくなってしまうので誰もそっちまで歩いていかない。 2つ目の信号の少し先、白山通りを右に折れた道沿いすぐにはピンサロが2、3軒あるんだけど、 興味のない人はほとんど気が付かないのではないか。
 まして、白山通りより右側一帯はスーパーとかあるけど、地元の人以外ほとんど足を踏み入れてこない地帯だ。

 平成26年に米ケーブルTVで「東京が世界一魅力的な都市である50の理由」というタイトルで発信された中に、 この『巣鴨地蔵通り商店街』も紹介されたみたいだけど、TVやネット見て中国や韓国人なんかの観光客も増えてるし、 隣町にフランス人学校が移転してきたおかげで、フランスマダムの姿なんかもチラホラ見られるようになっているそうだ。
 でも外人観光客が溢れている新宿とか浅草に比べたら、今も「えっ、何処に外国人いるの」って 聞きたくなっちゃうくらい目立たないし、おばあちゃんの姿ばかり目に入ってくるけど、いずれにしろ「とげぬき地蔵」とか 「地蔵通り商店街」とかの紹介というのも今更ここで何だかなって思ったんだけど、やっちゃうよ。

 巣鴨駅から、年寄りを思ってか歩行者用の青信号の時間が他の町のものよりかなり長めの横断歩道を渡って 高岩寺までは約400メートル。 白山通りから左に別れる、車の入ってこないいつも賑やかな細い方の道が、旧中山道の『地蔵通り商店街』(約750m)だ。 その入り口に当たるところには、平成26年に開眼300年を迎えた江戸6地蔵尊の一つが安置されている真性寺がある。 深川の地蔵坊正元という人が、江戸市中から寄付を募って主な街道口に地蔵6体を設置したものだ。 一番が東海道の品川寺、二番が甲州街道の太宗寺、そして三番目がここ中山道の真性寺で、四番が奥州・日光街道の東禅寺、 五番が水戸街道の霊岸寺、六番が千葉街道の永代寺(ここだけは明治の廃仏き釈で破壊されて今はない)。 大きな地蔵なのですぐ目に付くはずだけど、普段はここに立ち寄って拝んでいく人はそう多くない。 もともとは、鶯谷駅近屏風坂下にあった『とげぬき地蔵』が明治24年に引っ越してくるまでは、 こっちがお参りの主役だったんだけどね。 しかもここの地蔵は、女体かも知れないというのにね(豊島区史には真性寺の六地蔵は延命地蔵で、 元は女体であったと記されて、女性の信仰を集めるためではなかったかとされているとのこと)。

 江戸時代より、江戸・東京は市街地が大きくなるにつれ、寺院等がよく市街地の外へ外へと強制移転させられたり することがしばしばだったけど、この高岩寺(正式には曹洞宗萬頂山高岩寺、慶長元年・1596年に 神田明神下・現神田2丁目に開設され、のちに下谷屏風坂下に移され、それから巣鴨へ)も明治24年に現在地に移されてきた。 ただ当時の巣鴨は、中山道沿いとはいえあまり交通の便はよくなかったらしい。 それですぐに経営難に陥ってしまって住職が責任とって退職、明治30年にその後を受けた弱冠23歳の巨海道雄という人が とげぬき地蔵の拡張に努めて、毎月4の日(今は4の付く日、月3回)に縁日を設立するなどして、 経営の基盤を確立していったそうだ(『東京名物誌』(明治35年)によるとのこと)。
 で、同時に「とげぬき地蔵(境内にはその他、水洗い観音、小僧稲荷、 子育て地蔵などがある)」を宣伝・売出しをはかったんだけど、そのとげぬき地蔵のご利益はというと、 簡単に言ってしまえば、境内で売っている『御影』(お地蔵さんの絵が印刷されている小さな和紙)を飲めば、 体の中のトゲも心に刺さったトゲもをたちどころに治してくれちゃうってこと。

 『正徳元年(1713年)のこと、江戸小石川の田村又四郎という人は、日頃から地蔵尊を信仰していましたが、 ひとりの男児を出産してのち重い病の床についてしまいました。 諸方の医者が手当てをしたが甲斐もなく、ついには「怨霊のたたり」とあきらめて死を覚悟する始末です。 そこで田村氏は、このうえは妻が以前から信仰していた地蔵尊にすがるほかはないと、熱心に祈願を続けていますと、 ある日黒衣の僧侶が田村氏の枕元に立ち、「私の像を川に流しなさい」とのお告げ。そして、「あなたに印像を与えよう」といわれます。 目覚めてみると、枕元に地蔵尊を刻んだ小さな木片がありました。 さっそくこれを印肉にしめして一万体の御影を作り、両国橋から一心に祈りつつ、これを川に浮かべました。 翌朝、夫人の夢に死霊があらわれたが、袈裟をつけた僧が錫杖で突き出してしまいました。 その後夫人の病気は日一日と回復して、その年の十一月にはもう床を離れることができ、以後夫人は無病になったといいます』 ...というのが、巣鴨地蔵商店街振興組合発行『巣鴨地蔵通り商店街について』からの引用。

 その話を田村氏本人の手で書かれた『下谷高岩寺地蔵尊縁起霊記』が高岩寺に保存されているらしいんだけど、 話には続きがあって、「この霊験の話を山高氏という人の家でしていると、一座の中に西順という僧侶がいて、 深く感心してその「御影」をぜひほしいという。私は懐中にもっていた二枚を与えた。 この僧侶は前から毛利家に出入りしていたが、正徳五年のこと、この家に働く御殿女中の一人が針を口にくわえているうちに、 うっかり飲み込んでしまった。 針はのどに立ち、さらに腹の中にはいって大いに苦しんだ。 薬やお守り札も何も効き目もなかった。 そこで西順が「ここに霊験あらたかなる地蔵尊の御影がある。頂戴しなさい」と一枚を水で飲ませた。 しばらくすると、女中は腹のものを吐き、その中に御影があった。 水で洗ってみると、四分ばかりの針が御影を貫いて出てきた。 一座の者みな不思議の感に打たれたという。この霊験は私が見たものではない。 ただ西順がのちわざわざ私のところに来て、絶対まちがいないと誓ったので、この縁起書に書き入れるものであるとあるらしい。

 その後も追加があったり、ごっちゃになったりしたみたいだけど、要するにこの高岩寺で売っている御影を飲めば、 体のトゲも心のトゲも抜けて、元気でいられるってことだよ。

お参りが済んだら、商店街をゆっくりぶらり。 塩大福、焼きだんご、焼き鳥、せんべいを食べたりお土産にしたり、それから高岩寺よりちょっと先にある 『マルジ』さんで、すっかり有名になった赤パンツを穿いたり脱いだり、じゃなくて手にとってキャッキャ姦しく品定めしたり。 こがれが巣鴨地蔵通りのよくある光景なんだけど、この通りを「お年寄りの巣鴨」としてNHKが紹介したのが昭和61年、 以来TVの取材がひっきりなしに来るようになるは、商店街を舞台にしたTVドラマが作られるはで、昭和62年の読売新聞が、 ここを『おばあちゃんの原宿』とネーミングして紹介してからはその名前がすっかり定着すると同時に今や全国区、 じゃなくて世界中からTV取材が入るようにもなって来ちゃったのだ。 (もちろんこの商店街の絶えない賑わいは、マスコミで紹介されたからとかだけじゃなく、商店、商店街の努力ってものも あるんだよね。例えば、おばあちゃんのが休憩出来るベンチの設置とかトイレの増設とか、凄いのはおばあちゃんが 躓いたりしないように各店の入り口に段差をつくらないようにしようと申し合わせて実行したりとか)

 それはそうと、この巣鴨地蔵通り、ズラっと出店が立ち並ぶ縁日(4の日)とか特別の日はともかく、 普段は高岩寺から先の方へは行かずにUターンしちゃう人もけっこういる。 だって、特別目当ての店がなければ(各店それぞれ凄く工夫・努力していて面白い店・品揃えの珍しい店も けっこうあるんだけど)もあんまり行くと巣鴨駅に戻るのがたいへんになっちゃうんだもん。

 商店街はそこから先もずっと続いていて歩くとけっこう長く感じられる。 庚申塚のある場所までが一応巣鴨地蔵通りっていうんだけど、確かに都電の『庚申塚駅』はあるんだけど (乗れば2駅で大塚へ)のろいし乗り換え面倒だしね。 ずっと足を伸ばせば、地下鉄三田線の西巣鴨駅もなくはないけど(ちなみに三田線の西巣鴨駅じゃなく、 巣鴨駅は巣鴨商店街の歩道のところに地下への入り口がある、ということは歩くと1駅分)だいぶ歩くことになるし、 てなわけでみ〜んな高岩寺から庚申塚の間のどこかで、JRの巣鴨駅の方へUターン。
 でも、この庚申塚、江戸時代には中山道の板橋宿へ辿り着くまでの旅人の休憩所になっていて茶屋が並んでいたんだよねぇ。 立場(たてば)っていう。 (タテバって、南口のラブホがある辺りを言うんじゃないのとかイッチャ駄目。 確かに中山道って、東海道が53次なら69次で、ついエロエロ連想しそうになっちゃうんだけど)

 この人の流れを、チョイ変えちゃおうって企んでいる動きがある。 なんて言い方すると悪いことするみたいに思われちゃうけど、実は素晴らしいこと。 といっても上手くいくかどうかは別だ。
 巣鴨地蔵通りは、庚申塚のあるところで終わるんだけど、道そのものは都電の線路などを跨いでずっと一本道に続く。 で、その高岩寺、庚申塚に加えて、その一本道(庚申塚通り)の遥か先、明治通りに出る手前のところにもう一つのお参り処、 見所を造って繋いじゃえって試みのことだ。 どこまで人気が出るかわからないけど、平成25年に建てられた大正大学作『さざえ堂(すがも鴨台観音堂)』のことだ。
 そこには、大正大学(仏教系の大学)敷地の一部が面していてそこから入ってすぐの所に建立、 またその隣の建物の最上階(8階)につくった洋食レストランを一般にも開放するなど、いろんな試みを始めたみたい。 学生は、授業が終わるとみんなこっち側の通りとは反対方向へ行く地下鉄の西巣鴨駅へまっしぐら。 それも、さざえ堂を造ると同時に、地蔵通り側に門もつくって学生に帰りは地蔵通りを通ってJR巣鴨駅まで歩いていくのを 奨励(ちなみに学生数約5,000人)するなど考えたみたいだけど、でもね、ちょっとね。 だって地蔵通り抜けちゃうと商店の数もぐっと減っちゃって面白くも何ともないし、けっこう距離はあるし、 おばあちゃんじゃなくたってわざわざそっちまで行ってみる気にはなれない。 なんかの拍子で気が向いて行ったとしても、少なくとも1回だけね。 しかも距離があり過ぎてもう今来た道を歩いて戻る気にはなれない。 しゃあないから、もう少し頑張って歩いて西巣鴨駅に行こうかってなっちゃう。 だから、こっちまで人を呼び寄せようと思ったら、大正大学の学生にボランティアで人力車でも引っ張らせるか、 10人乗りぐらいは出来る花馬車とか常時行き来させていないと。

 でもね、大正大学、地蔵通りのイベントなどに積極的に参加しようと、平成25年11月には 「中山道すがも菊まつり」に連携して、さざえ堂の広場にも菊をかざり、巣鴨地蔵通 りから庚申塚、 庚申塚からさざえ堂のある通りまでの一本道を菊で飾ったイベントに尽力したり、平成26年5月には各商店の協力も得て、 巣鴨駅前通りからさざえ堂までの1800メートルの旧中山道にバラの花を並べ、「いのりと希望の路 - すがも花街道」 なんかも主催して好評を博したようなんだよね。 いいね、これからも何か期待したいね、ってことにして、『おばあちゃんの原宿』に関しての記載は終わりってことで。

 巣鴨地蔵通りが取って付けたようにイベントをやったわけではない。 そう、かつては巣鴨は、植木職人の村だったのだ。 今の駒込あたりが江戸期は駒込村の枝郷・染井村だったわけで、桜ソメイヨシノの発祥の地。 江戸時代は園芸の地だったわけで(駒込駅北口公園に染井吉野の碑がある)、大正時代まで桜のトンネルだった という染井通りは染井霊園の方まで続く。 この染井霊園は、白山通りの少し行ったところの右の奥まった方にあって、JR駒込駅よりはJR巣鴨駅からの方が近いし、 地下鉄の西駒込駅からの方がもっと近い。 この染井霊園もそうだけど、その周辺には寺院も多く、江戸や明治期の有名人の墓もかなりあるみたいだ。
 それはそうと、染井が園芸・植木の村なら、巣鴨もまた染井より少し遅れて広まった園芸の村。 染井が経営的に樹木から次第に盆栽中心に切り替わっても伝統に縛られることが多かったなら、 巣鴨の方は新しい職人がいろいろ新しい試みが出来た。 それで、菊つくりが名産地となって、しかも菊の形造り、人形造りが流行って旧中山道を通る人々の目を楽しませんたんだけど、 それが近世に入って衰退してしまった。 とはいえ、菊人形の発祥の地はここである。 巣鴨地蔵通りがイベントに菊を復活させたというのも、そういう経緯があったからこそなのだ。 菊だけじゃなく、桜草とかつつじ他もあるけど、とりあえずはここまで。

 最後に『巣鴨』という地名の由来を記しておこうと思うんだけど、 でもこれはいくつか説があって、定かでない。 史書に、洲賀茂、州処面、菅面、州鴨などがあって、巣鴨に定着するのは江戸中期以降らしいんだけど、 大きな池があって鴨が住んでいたからとか伝えられてもいるけど、『江戸会誌』によれば、「信ずるに足らず」と書いてある。 巣鴨が北豊島郡の一村から豊島区に編入されたのが昭和7年だそうだ。

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※参考にさせてもらった文献

・川添登編著『おばあちゃんの原宿ー巣鴨とげぬき地蔵の考現学』(平凡社 / 1989年刊)
・木崎茂雄『ぶらり、ゆっくり、今こそ癒しの街・巣鴨』(展望社 / 2014年刊)
・三吉朋十『東京古寺地蔵めぐり』(有峰書店新社 / 昭和63年刊)
・東京都豊島区史編纂委員会『豊島区史 - 通史編一』(昭和56年刊)
・伊藤栄洪・堀切康司『東京史跡ガイド16 - 豊島区史跡散歩』(学生社 / 1994年刊)
・沢寿次『山手線物語』(日本交通公社出版事業局 / 昭和46年刊)
・朝日新聞社会部編『東京の地名を歩く』(日本名書出版 / 昭和58年刊)
・吉田之彦、渡辺晋、樋口州男、武井弘一編著『東京の道事典』(東京堂出版 / 2009年刊)
・龍渓書舎編集部編『すがも總攪』(龍渓書舎 / 1992年刊)

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01
・白山通り向こうのラブホ

02
・「巣鴨地蔵通り」入口

03
・トゲ抜地蔵安置の高岩寺

04
・巣鴨地蔵通り縁日

05
・庚申塚

06
・さざえ堂