
西 船 橋 へ よ う こ そ ! ◆女性を取材(サンケイスポーツ紙上でも掲載)したお店の紹介です |
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『五十路マダム・エクスプレス船橋店』
・業種 / 上質淫乱熟女系デリヘル |
もっとも、そういう街だからこそ風俗ファン御用達の街になっているのかも知れない。 駅右線路沿いに歩いて行けば、コンビニ1軒を過ぎてしまうとすぐにラブホが3〜4軒あって、 道の反対側は線路に沿ってずっと一帯が自転車置場になっているから、あまり人目を気にする必要もなく ホテルの中へ入っていけちゃう。 そして、何より「西船橋駅は、各線の連絡駅になっている」から、ちょっと途中下車して遊んでいくには絶好の 地ってなことになっているのだ。 実際、西船で営業を営んでいるデリヘルは結構多いし、客の入りも他の地よりいいようだ。
オールド競馬ファンなら知っているだろうけど、昔は「西船橋といえば競馬」って答えが出てくるくらい
駅までバスを使おうが、オケラ街道を長い時間をかけてトボトボ歩いてこようが、駅周辺にそういう客を
アテにした射的場なんかもあったし、何かと競馬に縁があったような印象が強い。
でも、武蔵野線が通って隣に船橋法典駅が出来ると、中山競馬場からはそっちの方がずっと近くなって、
オケラまでそっちの駅を使うようになってしまったのだ。
今も、西船橋に競馬帰りの客がなくなったわけではないけど。
でも、デリヘルのオーナーに聞くと、あまり競馬があるなしで客の入りは左右されてないとのこと。
駅北口をまっすぐ行ってやや右、国道14号線(旧千葉街道)を越してすぐのところに緑が茂っている高台があって、
小ぶりな社殿が鎮座しているのが、春日神社。
猫が十数匹そこここに寝そべっていることもあるけど、他に旧跡なんかがあればあえて紹介するような場所でもない。
国道14号を左にずっと歩いていくと道沿いに勝間田公園ってのがあるんだけど、かつては『名所図会』に広々とした
「勝間田の池」ってのがあったらしいんだけど、今はそれを偲ばせる影もない。
歩道沿いに「勝間田の池」と刻んだコンクリート碑がそれを知らせていただけだったんだらしいけど、
今はそれもとっぱられてしまったようだ。
公園の隣は、永井荷風が発見したという『葛羅の井戸』の碑と縁がある、小さな社殿のある『葛飾宮』
(別の場所から現在地へ引っ越してきた)がひっそりと佇んでいる。
◆西船橋駅南口 駅周辺は、片手で数えられちゃうんじゃないかって思いたくなっちゃうほど、立ち並ぶ商店さえ寂しい印象の街風景だ。 ずっと右の方に歩いていけば、でっかい『ドンキ』があったり、少し先の通りを行けば、 そこはそこで食べ物やがあったりするんだけど。 道を左手に行けば、この街でと思いたくもなっちゃう「ニューハーフ・おなべバー」みたいなのもあるんだけど、 取り立てて紹介したいような場所はありません。
◆『西船橋』といえば、思い浮かぶのは各線の連絡駅ってこと!
東京市内から、東京郊外へと人口移動・膨張が激しくなって行ったのは、大正12年9月1日に発生した関東大震災からみたいです。
大正5年に東京押上を起点として千葉方面への路線延伸を展開してきた京成電気軌道が青砥日暮里間の開通で
山手線との接続を果たしたのが昭和6年、日暮里上野公園間の都心乗入れ開通は昭和8年になるけど、
この方面も含めて人口は徐々に増えていったようです。
では今の総武線方面はというと、まだ鉄道が民営の時代だったけど、なかなか認可が降りないでいろいろ苦労した
経緯は省くとして、佐倉に陸軍軍営所在地があったことから、まずは市川・佐倉間が認可され、明治27年に開通しました。
当初の駅は、市川、船橋、千葉、佐倉。
そして同年12月に本所・市川間が開通、翌28年に中山駅と津田沼駅が開業。
明治30年になって銚子まで、明治37年になってやっと東京両国橋銚子間が全通したとのことです。
でも総武線が、両国止まりから秋葉原経由でお茶の水まで延長して山手線、東北本線との連絡が図れるようになったのは、
やっと昭和の3〜4年頃のことです。
さて、西船橋駅は、まだその頃もなかった。
開業したのは、昭和44年(1958年)11月10日のことだから、それに比べればずっと新しい駅だし、
町も田園地帯を切り開いてできた新興の町ということになる。
今も総武線の快速電車は停まらないけど、昭和44年に地下鉄東西線が乗り入れ、昭和53年(1978年)に武蔵野線、
昭和61年(1986年)に京葉線(「西船橋」〜「千葉みなと」間)、昭和63年に京葉線(「西千葉」〜「市川塩浜」間)が交錯して、
平成8年(1996年)に東葉高速鉄道がオーバークロス、今や都心に向う通勤客達の乗り換え駅となって大混雑している。
なお、「西船橋」の略称「西船」が定着して町名になったほか、JRからはちょっと離れている京成電鉄の
「葛飾駅」を今は「京成西船駅」と改称している。
◆住居表示
現・西船1〜2丁目 = 旧「西海神村」
現・西船2丁目、4丁目 = 旧「印内村」
現・西船3丁目など = 旧「印内台遺跡」
現・西船6丁目など = 旧「本郷台遺跡」
現・西船4〜7丁目 = 旧「寺内村」
現・西船2丁目 = 旧「行田新田」
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※参考にさせてもらった文献
・船橋市教育委員会編『船橋市の歴史 - 近・現代編』(千葉市、平成11年刊)
・船橋市広報課編『ふなばし物語(改訂版) - 太古から現代まで』(船橋市広報課、平成9年刊)
・岡崎柾男『総武線歴史散歩』(鷹書房、昭和63年刊)
・三好好三『総武線120年の軌跡』(JTBパブリッシング、2014年刊)
・生田誠『朝日新聞社機が撮った - 総武線、京成線の町と駅【1960〜80年代】』
(朝日新聞社、2017年刊)