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西 日 暮 里 へ よ う こ そ !

◆女性を取材(サンケイスポーツ紙上でも掲載)したお店の紹介です

西日暮里の街情報です
【西日暮里の街印象・街模様】 ◆西日暮里も「ひぐらしの里」日暮里のうち  駅がなければ、日暮里とあえて分ける必要もない街と言ってもいいんだけど、 駅が出来ればその周辺に商店が立ち並ぶようになったりしてそれなりの街は形づくられる。 ...と言いたいところだけど、あまりにぎやかな商店街などはない。
 山手線の内側はあとで案内するけど、日暮里と同じで高台になっていて賑わいなどはない。 駅ホームからそのホームが跨いでいる道灌山通りが見通せるけど、 歩道橋右は開成学園などへ通じる石壁づくりの崖になっていて何にもないし、 左側歩道沿いも飲食店とかの看板がポツンポツンと散見出来るぐらいで閑散としている。
 道灌山通りの反対側(山手線外側でこちらは見通せない)も、道灌山通り左は奥に入っていくとほとんど商店はなく、 道灌山通り右側一帯に飲み屋とか食べ物屋、商店等がかたまってあるけど人通りは少なく、何となく閑散とした駅前風景だ。 ラブホが点在しているのは、その右側一帯の中。
 韓国家庭料理とか韓国の地名を店名にしたスナックとかが目立つ他さして特徴のない店々で、 ラブホ御用達の人々以外はあえて訪ねて来る人もない街と違うのかな。 もっとも近くに日本語学校とかは多いし、アジア系の若者は日本人以上に目にすることも多いかも知れない地帯ではある。
 ただ少し奥に入ったりすると、「ひぐらし保育園」とか「ひぐらし」を看板にしている医者とか、 やたら「ひぐらし」の名前を目にするから、あぁここはやっぱり日暮里なんだとは思い起こさせてくれる。
 付け加えておけば、この地域のラブホはシティホテルなみの外観だったり、道路上高架を 「舎人ライナー」が走る自動車通り「尾久橋通り」沿いに、気をつけて見なければただの雑居ビルだと思って 見過ごしてしまいそうなラブホが2軒とか点在しているだけで、淫靡な趣はない。 人々はその前を何事もないように行き来しているし、その尾久橋通りの裏の路地みたいな短い道に ラブホが2軒並んでいるところだけのがいかにもって感じなだけだ。 それも、そのまままっすぐ行けばすぐ常磐線の踏み切りにぶつかって、踏み切り向うはラブホ「エーゲ海」の看板が デ〜ンと構えて待ってるって感じのもう日暮里側だ。 女子供が通りづらいとしたら、その裏道っぽいところだけだろうな。 もっともそのすぐ近くで待合せか、保育園児か幼稚園児かの児童を荷台に乗せた20人ぐらいのママチャリ軍団が ベチャベチャキャアキャア姦しかった姿を目撃したことはある。

◆西日暮里駅  日暮里のところでも伝えたけど、日暮里駅と西日暮里駅との駅間は500メートルしかない (ちなみに、逆隣りの駅「田端」からも800メートルしか離れていない)。楽に歩ける距離だ。 昭和に出来た唯一の駅で、地下鉄千代田線と山手線・京浜東北線を接続する駅として開業させたらしい (千代田線は北千住〜綾瀬間が開通、すでに開業していた北千住〜霞ヶ関間と繋がったことによる)。
 西日暮里駅の所在地は「荒川区西日暮里5丁目」で、「日暮里の西」に駅があるから「西日暮里」だと 勘違いする人も多いけど、実際には北方向にある。 これは駅開業当時すでに新しい町名表示になっていて、その地名から単純に「西日暮里」という駅名にしたとのことらしい。
 どうってことない駅だけど、珍しいのは駅北側にある新幹線高架下にかなりの数の トランクルームが設えてあることだ。 いつも摂氏20度前後で湿気を防ぐ空調が完備していて、夜は警備会社が見張っている、しっかりとした設備。 すごく有効に使えるので新幹線の高架下を、他も真似して利用すればいいのにって思うかも知れないけど大変みたい。 梱包から運送まで、車の出入りや安全問題もあるし、しかるべき手続きも面倒みたいだし。

◆西日暮里山手線内側〜道灌山高台側  西日暮里駅の高架下を東西に伸びているのが道灌山通りだけど、道灌山はこの辺り一帯の高台のこと。 室町時代後期、江戸城や川越とかに、それまでにない城を堀で囲むという難攻不落と言われた城を幾つか築いた 「太田道灌」にちなんで付けられた名前とのこと。 江戸っ子に人気のあった道灌の痕跡や銅像なんかは、神奈川の伊勢原から埼玉の入間、川越、岩槻他、あちこちある。 ただし、この道灌山通りの「どうかん」は、関小次郎長耀入道道閑という豪族が出家して、 この地に道観あるいは道灌と号して屋敷を構えたことから生じたという説の方が有力みたいだけどね。

◆開成学園側  駅すぐの陸橋を渡って右方向へ行くとその辺り一帯が開成学園の敷地に。 東大進学者数で有名なトップ校(関東大震災後に当地に移転、もとは神田にあった)だけど、 きつい坂道を登ったりしても、「道灌山遺跡」とか「佐竹屋敷跡」とかの 標識が途中見られるだけで、こちら側はさして見るべきものはない。 ただ、昭和29年に早稲田大学の発掘調査によって、開成学園グランド内に3つの竪穴式住居址が見つかっている。 ここから出土した石器や土器は、開成学園と区立荒川図書館が保管しているとのこと。

◆道灌山通り左側  陸橋を左に曲がるとさらに石段があって、年寄りにはちょっときついけど、そこはそう広くもない公園 (児童公園みたいのよりはずっと広いよ)になっている。 高村光太郎の彫刻があるっていうけど、どこどこそれって感じ。 彫刻に造詣深くないものには「なぁ〜んだ」って感じを受けちゃうかも。
 その公園を抜けて、一つの見学コースにはなっている道なりに諏訪神社、淨光寺、養福寺、啓運寺、 経王寺なんて辿っていくと、もうそこは日暮里駅近く「夕やけだんだん」で有名な「谷中ぎんざ」へ通じる 通りに出ちゃうからそのつもりで。
 真っ直ぐ歩いちゃわないで、道なか途中「富士見坂」という標識のあるところで折れれば、 そこは富士山が見渡せたという有名な富士見坂だ。 比較的急な坂道を降りていって突き当たり右には修性院がある。 そこには「ひぐらしの布袋」があって、「谷中七福神」の一つに数えられている (他は、天王寺の毘沙門天、経王寺の大黒天、青雲寺の恵比寿、不忍の弁天、谷中長安寺の寿老人、田端西行庵の福禄寿)。
 さらにもっと北寄りには、広重の『江戸百景』にも花見寺として描かれている「青雲寺」がある (修性院から隣の小学校敷地も含めて花見寺と呼ばれていた)。 高台下は以前海になっていて、道灌が船を繋いだという『道灌船繋松の石碑』 だけしか残ってないけど、歴史を偲ばせる場所だ。滝沢馬琴の硯塚もここに。
 富士見坂を降りて左の方へ行くと「南泉寺」がある。 そう、こっちの方を散策に来たならここはぜひ立ち寄らなければ。 だって男女のシンボルと肛門の三体が一組になっている自然石(陰陽石)があるんだから。 墓地の手前、右手の「おまねぎ堂」というところの中だよ。

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※参考にさせてもらった文献

・岡崎柾男『山手線歴史散歩』(鷹書房 / 昭和61年刊)
・松平康夫『荒川区の歴史(東京ふる里文庫 19)』(名著出版 / 昭和54年刊)
・篠宮幸男『ぶらり東京・山手線』(新栄堂 / 1992年刊)
・朝日新聞社会部『東京地名考・下』(朝日文庫 / 昭和61年刊)
・松本典久『JR山手線の謎 2020』(じっぴコンパクト新書 / 2018年刊)
・小泉功『太田道真と道灌』(幹書房 / 2007年刊)

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01
・新幹線高架下のトランクルーム

02
・「ひぐらしの坂」の標識

03
・「道灌山遺跡」標識

04
・「向陵稲荷坂」の標識

05
・高村光太郎の彫刻

06
・道灌船繋松

07
・道灌山

08
・諏訪神社

09
・富士見坂

10
・尾久橋通り - ラブホどれだ?