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駒 込 へ よ う こ そ !

◆女性を取材(サンケイスポーツ紙上でも掲載)したお店の紹介です

駒込の街情報です
【駒込の街印象・街模様】 ◆ようこそ、桜 - ソメイヨシノ発症の地へ!  プラットホームは山手線内回り外回り線兼用の1本だけだし乗降客も山手線内でも25番目と少ない駅だけど、 外回り線の向こう側は切通になっていて、そこにツツジがびっしり植えられている。 明治43年(1910年)に開業した時から、「園芸の駒込」で知られていた植木職人さん達が寄贈したものだ。 もっとも開業当初は駅近くの妙義坂下町の名をとって「妙義駅」としてスタートしたのではあったけど。
(駅脇の本郷通りを北に坂道を下って行って少し先左に折れた方に「妙義神社」もある。 もちろん駒込村というのはあって、文京区の駒込村も含んでいたし巣鴨町に属したこともあるけど、最終的に豊島区に編入された。 駒込の名前については、日本武尊が東征の途に味方の軍勢を見て「駒込みたり」といったという説、 原野に駒が多いからという説、高麗人が住んでいたという高麗説など、諸説ある)

 駅の発射メロディーは童謡の「さくらさくら」。 染井吉野桜発祥の地にちなんで用いられた曲。 駅東口出てすぐのところにある交番向こうの小さい公園(染井吉野桜記念公園)だけど、そこには「染井吉野櫻発祥之里、駒込」という碑もおかれている。
 そう、駒込は江戸時代から明治にかけて、腕のいい植木職人さんがいっぱい住んでいて、 一大園芸センターとして多くの人たちでにぎわっていたのだ(やがて植木職人さん達は埼玉県の安行〈川口市〉に移り住んだ)。

 駅東口出て地下鉄南北線入口のある南方面すぐ先には「六義園」があるし、そこから北に向かって伸びる染井通りをずっと歩いていけば 「染井霊園」もあって、特に桜の季節なんかは年配女性中心に賑わいをみせる。 だけど普段は、駅周辺は食べ物・飲み屋さえ疎らな何とも寂しげな風情の街並みなのだ。
   駅西口の方も、南がアザレア通り、北側が駒込銀座(東口の旧吾妻通りの方は駒込東銀座と呼んでいた)とは名ばかりの 人通りもまばらな商店街で、およそ地元の人がJRを使う時に通るだけのような道だ。 食べ物屋、規模の小さい店は並んでいても、買い物客なんてあまりいない。 大型店もないし、スーパーらしいスーパーすらない。 第一、建物自体が2〜3階建て止まりの背の低い小さい建物ばかりだ。
 駅周辺があまり発展しなかったのは、駅の東口と西口とが断絶されて感じられるせいかも知れない。 何しろ駅プラットホームが見渡せる線路沿いの道ときたらずっと続く急坂。 線路の反対側にも商店なんか建てようがない急坂、こちらはくねってる道だ。 誰だってこんな坂道登るのヤダってなっちゃうだろうから、入口付近以外で商売をやろうってのは無理だ。 すぐ入ったところにメロンパン屋さんが出来たけど、すぐ潰れた。 あまり旨くないって聞いたことがあるから、そのせいではあるんだろうけど。 それじゃなくても、商売が難しい土地なのか。 東口駅側にたこ焼き屋さんが出来たと思ったらすぐ閉店したし、古いビルの2階にあった800円床屋さんも聞いたところによると オヤジさんが横柄な態度だったというせいもあるのかも知れないけど、潰れちゃった(その割に駅周辺、家賃が高いとも言われてるけど)。  名所巡りが好きな人にとっては面白い街ではあるんだろうけど、商店街としてはあまり 面白味が感じられない。 東口出て少し坂を下ったところ(途中「子育て地蔵尊」がある)から脇に逸れる車の入れないような狭い道には、 昔ながらの商店街『しもふり商店街』があるんだけど、時代の流れかシャッターの降りた店もでてきているし、 賑わいも減って活気が感じられなくなっちゃったし、特徴の薄れた商店街になっちゃったような気もする。
 でもそういう街じゃなく、名所旧跡という意味ではわざわざ来る価値がある土地なんだけど、でもその案内の前に、 この街の下半身事情はどう変化したかを先に記しておこうか。

◆駒込の風俗関連事情  2〜3年前に東口の方にキャバクラが1軒だけできたけど、およそバー、クラブすらほとんど見当たらない街。 せいぜいスナックがあちこち散らばってあると言った程度の印象の街だ。
 では風俗の方はどうなっているかいえば、山手線沿いのほとんど商店がない田端方面への道をしばらく歩いて行くと、 何か時代に取り残されたようにソープが1軒だけある。 いわゆる駅から離れているけど、一時隆盛をみた駅前ソープの名残のような風情だ。
 だけど、それ以外は風俗の気配がほぼなくなっちゃった街だ。 ラブホだって、ラブホとも言い難いような、昔の行商人とかが泊まっていたような木造の木賃宿を改装したみたいな宿(自称ホテル)が1軒だけ。 しかも少し前、どうも経営が変わったみたいなんだ。 以前は一応、間取りこそ余裕があったけど、とはいえ竹下夢二か滝田ゆうの世界みたいな趣の侘しい感じの様相の部屋。 それでもデリヘルなんかも使っていた宿ではあった。 それがオリンピック誘致も決まってインバウンド、というより中国人観光客を見込んで改装したみたいなんだ。 中国人が珍しがって喜ぶだろうって、トイレをウォッシュレットの便座に総とっかえしたぐらいではあったんだけどね。
 それはいいとしても改装後、それまで店的にそこもよく使っていたことのある業者が、 他の泊り客に影響与えるから風俗で使うのはやめてくれって言われたそうだ。 経営も変わったかなといったのは、そこの従業員もみんな中国人っぽい人に変わってしまったからではあるんだけど。
 ところが改装が終わったのが令和2年の年明け、さていよいよ中国からの観光客を呼び込もうという段になってコロナ騒ぎだ。 そしたら従来通りうちを使ってくれって言ってきたみたい。 でもね、今もある時女性の物凄い嬌声がホテルの外にまでかなり聞こえたことがあって、そしたらオタクの女性がそんなことしてるんじゃないか、 やめてくれって言ってきたっていうんだ。 濡れ衣だったんだけど(そこ使っていたのは女性へのタッチなしの前立腺マッサージ系の店だったから)。
 駒込には、ラブホと言えば言ってもいいホテルがそこ1軒だけ、そりゃ風俗なんてこの地でやれないはな。 だけどね、以前はここ駒込にもラブホが5〜6軒はあったんだよね。 駅東口の方にけっこう大きめのビルのラブホが3〜4軒固まってあったんだ。 だけど建物が古くなったのと、セキュリティの心配もあったか面倒になったか、それ経営がぜんぶ一緒で一度に取り壊してマンションに建て替えちゃったんだ。 自分の持ち物か売ったのかは知らないけど。 それで、たいていの風俗店事務所は隣の巣鴨とか大塚に移っていった。 線路反対側にもう1軒だけ、これも「グレースイン八千代」だったか、年代物のラブホが1軒あったので残った店があったのはあったのだけど(今は閉店)、 やがてそのラブホも取り壊しとなって現状となったわけだ。駒込にはレンタルルームもないし。
 付け加えておけば、ゲイの人達には有名な土地なのかも知れない。 東口出て駅前の本郷通りの信号を渡り、角の大国神社脇の高架下脇の線路沿いの道を歩いてすぐのところ(その先すぐが染井通り)に、 ゲイの人なら多分知っているだろう「駒込健康センター」っていう、有名なハッテン場がある。 ハッテン場っていえば、たいていは若めの人が利用する施設が多いんだけど、ここだけは都内でも唯一と言ってもいいのかも知れない、 60代〜80代の高齢者ゲイの人の溜まり場としてその趣味の人にはかなり有名な老舗店なのだ。

◆駒込近辺の名所巡り・六義園  駅西口改札を出て南方面への通路を抜け出れば、右側本郷通りの少し先の方に『六義園』の門が見える。 ただしこの門は桜の季節とかは出入りが出来るようになるけど、普段はずっと先の正門側に回らないと中には入れない(有料)。 『六義園』自体は東京ドームの1.9倍もある広さだから、どのくらい歩かなければならないかは想像がつくっていうもの。
 松の木が点々と植えられている芝生の向こうに広い池泉が配されているこの庭園は、五代将軍綱吉に仕えた柳沢吉保の別荘だった。 明治になって、三菱財閥の創業者でもある岩崎弥太郎がこの地を買収し、昭和13年に東京都に寄贈されて現在に至っている。
 桜の季節になると、駅から臨時に解放される裏口門の辺りまで人波でいっぱいになる。 目当ては、ここの見事な一本のシダレザクラだ。 ただね、園内ところどころに桜の木はあるけど、桜並木みたいなのはない。 個人的にいえば桜より、ここの背の高い樹木が立ち並ぶ山間で樹木浴気分に浸る方が好きだ。

◆染井通りから染井霊園  六義園から本郷通りとはやや並行に走り出して次第に離れていく感じで伸びる染井通りを進んで染井霊園に辿り着くまでには、けっこう距離がある。 その間、少し道を外れながら寄り道していけば、妙義神社とか染井稲荷神社、藤堂氏下屋敷とか、 西福寺とか明治以降に下谷とか浅草から移転してきた法成寺とか泰宗寺とかいろいろあるけど、研究熱心な人とか目的がある人はともかく、 ただ漫然と歩いて面白い場所とは思えないかも知れない。 それぞれ祭りの季節とかは別にして。
 それでも散歩かねてゆっくり歩いていけば、それはそれで楽しいし、そういう人も普段でもちらほら見掛ける。 明治5年に開設された公営のこの共同墓地・染井霊園には、二葉亭四迷や岡倉天心、高村幸太郎・千恵子夫婦などの墓がある。 ここには案内所みたいのもあるし、分かれ道角には12地蔵もある。 何ならその手前に多分会員制だけど東京染井温泉があるから、ここでゆっくりなんて人もけっこういるのかも知れない。

 駒込駅の南地域『六義園』よりは西側には『日枝神社』とかあるけど、これもわざわざ訪れるような場所とも思えない。 駒込東公園があって、その近辺に木戸孝允の屋敷跡とか木戸坂とかあるらしいんだけど、見つけるのに難儀、これはよくわからなかった。 まぁ、知らなきゃ知らないでどうってこともないだろう。

   それと一つだけ面白いと思って訪ねてみたのは、駒込といってもかなり距離があって、駒込駅から地下鉄で一駅・本駒込駅に近い場所にあるんだけど、曹洞宗寺院・吉祥寺。 太田道灌が江戸城を築く際、井戸の中から「吉祥」と刻まれた金印を掘り当て、これを縁起がよいことが起こりそうな前兆であると感じた道灌が、 江戸城内に小さなお堂を建立しそこに金印を祀った。
 江戸時代の習いで城の拡張とか街の敷地が手狭になってくると、寺院は人家も少ない郊外へと追いやられる。 火事なんかでの移転もばしば。 で、この吉祥寺も和田倉門あたりにあったのが神田駿河台の水道橋に移転させられ、明歴の大火を機に今の駒込に移転してきた。
 寺が移転となれば、その門前町に住んでいた人々も引っ越しを余儀なくされる。 その時、幕府が斡旋したのが現在の中央線駅がある吉祥寺。 人々はこの荒れ地を切り開き、新しい村を築き上げる。 そしてその村名を決める時、愛着のある「吉祥寺」をその名に採用したのだ。
 明治32年に現・中央線の吉祥寺駅が開業。 中央線沿いには、寺が多いし高円寺とか寺名を駅名にした駅も少なくないけど、吉祥寺だけは吉祥寺という寺はないのだ。 ここ駒込にある。
 なお、駒込の吉祥寺には榎本武揚や二宮尊徳の墓、お七・吉三の供養塔などもあるんだけど、院内は一般客の見学などはお断りとなっているから念のため。 駒込駅からこの吉祥寺まで歩いて来れば、駒込富士神社とか寺院もけっこうあるんだけど、そうそそられる名所でもないのでここでは省略。

 なお、駒込駅から南に六義園正面玄関門よりさらに先のところに、東洋文庫ミュージアムがある。 今は有料で一般展示もしているみたいだけど、残念ながら上の階にずらっと並んだアジア各国等貴重な文献等は手続きが必要みたいで(研究者とか)、 気軽に手に取ることが出来ないところか立ち入るのもNGみたいだから念のため(係員がすっ飛んできます)。

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※参考にさせてもらった文献

・篠宮幸男著『ぶらり東京・山手線』(三一書房 / 1992年刊)
・松本典久著『ぐるり一周34.5キロ・JR山手線の謎 2020』(実業之日本社 / 2018年刊)
・石川悌二著『東京の坂道 - 生きている江戸の歴史 - 』(新人物往来社 / 昭和46年刊)
・伊藤栄洪・堀切康司著『東京史跡ガイド18・豊島区史跡散歩』(学生社 / 1994年刊)
・東京学芸大学地理学会30周年記念出版専門委員会編『東京百科事典』(昭和57年刊)
・早川光著『東京のえんぎもの』(求龍堂 / 1999年刊)
・林英夫著『豊島区の歴史』(名著出版 / 昭和52年刊)
・鈴木賢志著『古地図で歩く 江戸・東京』(三栄書房 / 2016年刊)
・朝日新聞社会部編『東京地名考・上』(朝日新聞社 / 昭和61年刊)

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01
・染井吉祥桜記念公園

02
・しもふり商店街

03
・妙義神社

04
・六義園・正門

05
・六義園・桜の季節

06
・駒込史跡めぐり

07
・染井霊園

08
・染井霊園に眠る著名人の墓

09
・染井よしのの桜の里公園

10
・染井稲荷神社・染井よしのの桜まつり

11
・吉祥寺

12
・二宮尊徳の「墓碑」

13
・お七、吉三郎、比翼塚

14
・富士社