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廉価店(デリヘル)特選  ・60分1万円以下
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大 久 保 へ よ う こ そ !

◆女性を取材(サンケイスポーツ紙上でも掲載)したお店の紹介です

おかあちゃんの宿・五十路 『おかあちゃんの宿・五十路』

・業種 / 熟女専門店(受付型)
・地域 / 大久保発
・電話 / 03-3368-4356
・営業 / 10:00〜22:30
・料金 / 60分12,500円〜

寺子屋 『寺子屋』

・業種 / 和風ファッションヘルス
・地域 / 大久保
・電話 / 03-3364-6973
・営業 / 10:00〜24:00(年中無休)
・料金 / 30分6,000円〜

大久保の街情報です
【大久保の街印象・街模様】 ◆大久保駅と新大久保駅  今のJR大久保駅が出来たのは明治28年。 新大久保駅の方はそれより20年遅く、大正3年の開業だ。 もともとが武蔵野の田園地帯で、新宿の後背地として商業地・住宅地として開けて行ったのは、関東大震災後。 当初は高架線ではなかったし、かつては新宿副都心の高層ビル街になっているところに淀橋浄水場があって、 新宿への直通は地形的に無理ということで、迂回するかたちでここ大久保駅から濾過用の砂利を運ぶためのレールが敷かれたりしていた。
 大久保駅が現在のように高架になったのは昭和3年(急行線増設は昭和6年)。 ちなみに山手線の新大久保駅までは300メートルで、歩いても行ける距離だ。

◆大久保駅北口  大久保駅の出口は高架下にあって改札を出て狭いフロアを抜けると、その正面ガード下を 大久保通りが左右に突っ切るように通っている。 そのあまり広くはない大久保通りを渡る駅前の横断歩道、信号の右側がドラッグストアーになっていて、店の灯が溢れてる。 だけど左半分は石壁になっていて、さした照明もないのでやや薄暗く感じられなくもない。
 大きいのに意識して見ないと見過ごしてしまいそうな、その左側の石壁に壁画が描かれている。 この壁画こそが昔日の大久保をあらわしている証だと言っても過言ではないでしょう。 そう、その壁画には、咲き誇る躑躅と江戸時代の侍の鉄砲隊の肖像が描かれている。 鉄砲隊は大久保駅と新大久保駅の間の一帯が百人町という地名、町名になっている由来でもある。
 百人町は、山手線と中央・総武線との間の地域を南北に広がる街なんだけど、この「百人」という町名は、 江戸幕府直属の伊賀組鉄砲百人隊の屋敷があったゆかりからの名前。 百人隊は、慶長6年(1601)に結成され、大阪冬の陣・夏の陣などで活躍、そこからついた名前だ。

 しかし江戸時代になって泰平の世が続き、武者達は経済的に逼迫するようになってきた。 そこで武道鍛錬の合間を縫って始めたのが躑躅の栽培だ。
 天保5年(1834)の『江戸名所図会』の長谷川雪旦の筆画からは、その盛況を極めた大久保躑躅の光景を想像することができる。 明治39年著の大町桂月『東京遊行記』からも大久保の活況がうかがえる。
 しかし、最盛期には7000種も栽培したという大久保の躑躅も、明治末年には大半が日比谷公園に移植された。 さらに関東大震災発生後に宅地化の波が押し寄せて、大久保の躑躅は箱根の小湧園や館林の茂林寺などへ移植された。 残されたのは、昭和47年に制定された新宿区の区花としての名前「つつじ」だけだ。 昭和50年に淀橋浄水上跡に造成された新宿中央公園に、大久保躑躅を再生する植栽が行われたけどね。

◆皆中稲荷神社  大久保通りに敷地の側面が面していて、そう広くはない敷地全体が見通せるから、 何を祀った神社かわからないにしてもそこを通りがかったことがある人は目にしているんじゃないかな。 大久保駅より新大久保駅の方がずっと近いんだけどね。
 ここが鉄砲百人組のゆかりの神社。 発祥は、天文2年(1533)、武蔵國躑躅ヶ丘(現・新宿百人町)に示現した稲荷之大神を奉持して建立。 そして寛永元年(1624)頃、江戸幕府の鉄砲百人組が駐屯するようになり、町名も百人町に定まった。 そこで鉄砲組の与力たちは射撃の鍛錬に励んだけど思うにまかせず、ある一人が夢枕に稲荷之神社のお告げを受けた翌朝、 神社に参拝して射撃を試してみると、これが百発百中。 この話が伝わると旗本たちが競って霊符を求めて「皆中(あたる)」の信仰が巷間に広まり、それで「皆中稲荷神社」になったとのことだ。

◆大久保駅南口  南口の方は広い道路もないし、さして見るべきものもない。 駅高架下のあまり綺麗とはいえない道というより通路みたいなところを右に出ると、 斜めに走る細い道があって小規模な飲み屋とか飲食店が連なっており、抜けるとそこが大通り、小滝橋通りだ。 ラーメン屋が多い印象の小滝橋通りをずっと歩いていくと、新宿は西口の方へ出る。
 駅を左の方に行くと、途中山手線のガードを潜ったりするけどこちらもさして何もない。 途中横にそれればラブホが散見出来る小道などもあるけど、さして特徴はない。 っていうよっか、この道沿いには日本語学校があったり、エスニック系飲食店が多い方なんで、 昼間なんか歩いているとアジアン系の若者がぞろぞろ、日本人よりアジアン系の人達の方が目立つ道路だ。

 めぼしい名所とかもない街だけど、無理に紹介しちゃえば"ミュージアムのあるホテル"を標榜している 『ホテル海洋』を越えて、小滝橋通りを新宿方面とは逆に歩いていくと、業者なんかも買いに来る、 月2回はさらに安くなっている朝市のある『東京黒潮市場』なんてのもある。
 さらに足を運んでいくと、団地の中にバベルの塔、なんて古い塔がみえて、これは団地の給水塔なんだけど、あれ何だろうってな趣で聳えている。

◆大久保の地名  新大久保のページでも紹介してるんだけど、『小田原衆所領役帳』によれば、富塚が現在の大久保で、 高田馬場、西早稲田一帯の古名であり、富塚内「大久保」の始原について調べてみると、 現在の東大久保と西大久保の境が「大きな窪地になっていたので大窪村と呼ばれ、後に大久保村と改められた」となっているけど、定かではない。

旧・大久保百人町 = 現・新宿区百人町1〜4丁目など

旧・西大久保村 = 現・新宿区大久保1〜3丁目・歌舞伎町2丁目・新宿6〜7丁目

旧・東大久保村 = 現・新宿区新宿6〜7丁目・歌舞伎町1〜2丁目

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※参考にさせてもらった文献

・鈴木伸子『中央線をゆく、大人の町歩き』(河出書房新社、2017年刊)
・籠谷典子編著『東京10000歩ウォーキング 文学と歴史を巡る No.11 新宿区 大久保・余丁町コース』(真珠書院、2004年刊)
・ニュースガイド編集部『中央線全駅ぶらり散歩』(弘済出版社、平成13年刊)
・平凡社地方資料センター編『日本歴史地名大系・第13巻』(平凡社、2002年刊)

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01
・大久保駅高架下の壁画

02
・鉄砲百人隊と躑躅の壁画

03
・皆中稲荷神社(大久保通りより)

04
・皆中稲荷神社