
新 大 久 保 へ よ う こ そ ! ◆女性を取材(サンケイスポーツ紙上でも掲載)したお店の紹介です |
ちなみに大久保駅が出来たのが明治28年、新大久保駅はそれより20年遅れの大正3年の開業で、 すでに大久保駅があったんで新をつけたみたいだ。 こういうケースで『新』を付けるのは、ここがはしりとのこと。
で、大久保っていえば、すぐ頭に思い浮かぶのはコリアンタウンってことだよね。
地域としては、新大久保駅を出て山手線の内側の大久保通りと、新宿方面に向う職安通りぐらいまでの間の
道2本(メインの方がイケメン通りだって)と、職安通りのドンキなどがある一帯。
その周辺や大久保通り山手線外側にもコリアン系の店はあるけど、人の流れからいうとそっちは外れ、
何か便乗して商売やってるって印象を受けなくもなかった。
でも最近は、こっちの方は中国、タイ、インド、フィリピン、マレーシア、ミャンマーなど、
アジアン系の料理店等が数多く乱立して、人の流れこそたいしたことはないものの、それ目当ての日本人も訪れるし、
それ以上に各国の人々、留学生等の溜まり場、情報交換の場にもなっていたりしているみたいだ。
で、大久保通りとむしろコリアン御用達って感じのドンキがある職安通りを結ぶ2本の道を、
『冬のソナタ』以来すっかり韓流にハマったオバサン連中やK-POPに乗せられた女の子達がぞろぞろ有難そうに歩いている。
この2本の道は途中にある小さな公園と路地で抜けられるよう繋がっている(路地の途中にも、ラブホが一軒)。
その駅より遠い側、より賑やかな方が通称「イケメン通り」だ。
李明博大統領竹島上陸以降、ヘイトデモなどもあり、客足がぐっと減ったり店が潰れたりしていた時期もあったけど、
今は歩いていると持ち直したっていうか、昼間なんて男一人で歩いてるのがはばかられるぐらいえらい人通りに戻っている。
このコリアンタウンの住人達は、1980年代韓国におけるの留学自由化から1989年の海外旅行完全自由化後に留学、
或いはジャパンドリームじゃないけど日本で一旗あげようと海を渡ってきた、ニューカマーって呼ばれている韓国人達だ。
オールドカマーと言われる戦前から日本に住んでいる人達(日韓併合時代から。詳しくは記さないけど、
その内わけは韓国籍、朝鮮籍、中国籍、台湾籍など経緯含めていろいろな道筋辿ってきた人達だ。
1991年に施行された「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」により
定められた「特別永住権」により、ある意味やや身分が安定する)は、かつては新宿の繁華街に近いってことで
水商売の人とか多く住んでいたけど、今はほとんど別の場所に引っ越してしまっている。
職安通りには、高麗博物館なんてのもあるし、それはそれでいいんだけど、まず今見かける人々はほぼニューカマーって呼ばれている人達なのだ。
でも、昔はこんな賑やかな街ではなかった。
コリアンタウンから大久保辺にかけて、まだまだラブホはたくさん点在している。
街の変化、俺そんなの関係ないよってな感じの派手な外装のラブホから、いかにもまだやってます、
すみませんって感じの片身の狭そうなラブホまで、その数少なからずあるけど、コリアンタウンが形造られる前の
大久保を知っている人にはちょっとな、ってな人もいるくらい。
かつて、新宿が石原新太郎都知事の浄化運動で街から乱立していた違法風俗店とかが消える前、歌舞伎町、
旧コマ劇場の裏、さくら通りの先の方にビデオ販売店がいっぱい並んでいて、堂々とアイドル系のAV女優の裏流失ビデオとか
AV女優からTVタレントに転身した今は亡き人気タレントさんだった女性の無名時代の裏ビデオとかを掘り出し物といって
ホントに売っていたんだよね。
買う買わないは別にして、冷やかしで店内を見ていく者も大勢いたある意味鷹揚だった時代の話だ。
そして、そのビデオ販売店地帯から大久保方面に向って、さらに冷やかしに散歩し続ける連中もいた。 職安通りを渡って今いうイケメン通りより左、もう一本のコリアンの店が多く立ち並ぶ道の途中、 公園があってそこを山手線方向へ曲がっていくと、あたり薄暗くラブホも点在している地域なんだけど、そこに立ちんぼがいっぱいいた。 国によって縄張りがあったみたいなんだけど、一時かなりの勢力があったコロンビアの娘なんて、 服装も露出気味で派手だったし可愛い娘多かったよ。 だけど、やがて地域の自治会みたいな人達による浄化運動で追い出されてしまった。 その後しばらく、懲りずに中国の女性が夜遅い時間になると駅のシャッターがしまった時間になると 「マッサージいかがですか」とその前に立っていたりして、逆にたくましく感じたりもしたものでした。
コリアンタウンはそのくらいでいいとして、その他ではこの地帯、さして見物というほどのものはない。
大久保通り沿いに「国木田独歩居住跡」があるけど見るほどのものが残っているわけではないし、コリアンタウン、
イケメン通りよりさらに道2〜3本先の住宅街の中ほどに「小泉八雲記念公園」があって、見てどうってことないけど、
コリアンタウンを抜けて来た人なら、その閑静とした環境にほっとして一息つけるような場所ではある。
少し勇み足だけど、明治通り(大久保通りをずっと歩いていくとぶつかる)に近い方、職安通りを渡って
新宿のラブホ街になる手前に「稲荷鬼王神社」ってのがあって、小さい社だけど、昭和映画が好きな人なら一度は行ってみるのもいいかも知れない。
新宿といえば花園神社しか知らないって人多いかも知れないし、そこから遠くはないんだけど、
地味な神社だから知らない人の方が圧倒的に多いと思うけど、でも昭和の映画に関する展示とかイベントをやったりしている面白い神社だ。
勇み足ついでにもっと勇み足してしまうと、明治通り渡ったずっと先に新宿区で一番高い山、
戸山公園内に人造の「箱根山」なんてのもある(1668年から、尾張徳川家の下屋敷内で東海道53次を模した回遊式築山泉水園を設えた戸山荘が造られた。
箱根山はその山荘に残る山)。
高田馬場方面からは、戸山がヶ原っ武蔵野の緑の面影が濃く残っていた一帯も昔はあったんだけど、
「緑よりは人の住むとこ」っていう進駐軍の方針で、やがて都営住宅なんかが建ってしまって、これも残っていない。
ということで、新大久保、これで終わり。
新大久保と大久保駅の間の百人町に「皆中稲荷神社」があるけど、百人町の地名の由来などは大久保駅の方で紹介にします。
なお、『大久保』の名前の由来はというと定かではないけど、永禄2年(1559年)頃の『小田原衆所領役帳』によれば、
江戸は東京の古名、牛込は新宿区西域の古名、富塚が現在の大久保で、高田馬場、西早稲田一帯の古名であり、
この富塚内「大久保」の始原について調べると、現在の東大久保と西大久保の境が「大きな窪地になっていたので大窪村と呼ばれ、
後に大久保村と改められた」という説が有力になっている。
------
※参考にさせてもらった文献
・朴正義『大久保コリアンタウンの人たち』(国書刊行会 / 2014年刊)
・山野車輪『在日の地図 - コリアンタウン探訪記』(海王社 / 2015年刊)
・籠谷典子編著『東京10000歩ウォーキング文学と歴史を巡る - No.11新宿区大久保・余丁町コース』(真珠書院 / 2004年刊)
・篠宮幸男『ぶらり東京 山手線』(三一書房 / 1992年刊)
・沢寿次『山手線物語』(日本交通公社出版事業局 / 昭和46年刊)
・中村直美編集『ニューガイド私の日本q27 通勤電車で行く 中央線全線ぶらり散歩』(弘済出版社 / 平成13年刊)
・逢坂まさよし『東京DEEP案内が選ぶ - 首都圏住みたくない街』(駒草出版 / 2017年刊)
・鈴木伸子『中央線をゆく、大人の町歩き』(河出書房新社 / 2017年刊)
・松本典久編著『ぐるり一周34,5キロ JR山手線の謎 2020』(実業の日本社・新書 / 2018年刊)
・芦澤健介『コンビニ外国人』(新潮新書 / 2018年刊)