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ディルド(張形)は昔から地球上いたるところに!

 性具としてのディルド(張形)が、いつ頃からあったかなんてことはどう逆立ちしてもわかりようがない。  例えば日本で発見されている最古の張形といえば、710年に建設された都・平城京跡から発見されたもの (独活蔓製で、復元すれば直径が2,5〜3cm、長さが17,8cmということになるらしい)となっているけど、 それはあくまで発見されたというだけであって、最も古いというわけではない。
 当たり前だ。  石や木などで、それこそ何メートルもある大きいものから小さいものまで、チンポの形に造形したものは世界中どこででも発見されている。  創造主の表象であり、生命の源・力の源への信仰であり、日本のような稲作地帯なら五穀豊穣の祈りとか子宝祈願とか宗教他いろんなものに結びついて、 まさにチンポこそスーパースター、世界のあちこちで崇拝されてきたのだ。  いや、もしかしたら人類の誕生より先にチンポだけすでに存在していたかも知れないって思えるくらい。
 嘘だと思うなら、インド、メソポタミア、中東、エジプト、エーゲ海沿岸地方から、トラキア、イタリア、 アイルランドを含むケルト時代以前の世界全域に至るまで、どこでもいいから見に行ってきてごらん。  昔は、例えば映画『Back To The Future』みたいにタイムスリップしようと思うとお金もかかったし、 予定のところとは別の時代に紛れ込んじゃったりとかのリスクがあったけど、今や小説とか漫画を見てみると、 凄く簡単にしかも旅行代理店とかも通さないで無費用でタイムスリップ出来ちゃうみたいだから。

 だけど問題なのは、それを信仰の道具として奉ったり拝んだり祭りで担いだりじゃなくて、性具としていつ頃から使ったかだ。  2メートルも3メートルもある石のチンポを、決してレズやオナニーの道具にはしなかっただろうということはわかる。  でもこれが手頃な大きさだった場合はどうか。
 もちろん横目で見て、「アレ、よさそう」なんて内心思った女がいたとしても、「でも石じゃゴツゴツしてて痛いかもなあ」なんて引いちゃったことだろう。  でもよく磨いて、オナニー用じゃなく、破瓜用にその類のものを使ったなんて部族がいたなんてことは記録に残っている。  石でかどうかは知らないけど、何も女ばかりではなく、男同士のセックス(これ、昔はかなり広範囲な地域でノーマルに行われていたことなのでゲイとは言わない。 日本でも武士の世界ではそうであったし、ギリシャなんかは有名。ただし関係性によってOKとNGもあったけど)、 男のアヌス拡張用に道具を使ったなんていう記録もかなり残っているのだ。   それに人間って優しいから、豚が効率よく繁殖出来るようにって、豚用デルドゥまで作ってあげちゃってるしね。

 それとレズるにしろオナニーするにしろ、男が女に使うにしろ(一夫多妻の部族なんかでは、男が年老いてくると頻繁に何人もの女房の相手するのがきつくなって、 張形を代用したなんて記録も残っているらしい)、何も道具が石である必要はない。  むしろ木とかなんかの方が簡単に手に入るし、加工もしやすかっただろう。
 そういや、以前に一生懸命「独活蔓(うどかずら)」がどこかにないかって探したことがある。  某「性の歴史書」に江戸時代には道端のそこここに独活蔓が生えていて、ちょうど手頃な太さなんで小娘達がオナニー用にそれをもぎってはチンポ大にしてオナっていたなんてことが書いてあった。  で、いろいろと探してみた。  植物図鑑を漁ったり、小石川の植物園に行けばあるんじゃないかとか。  でも別の文献で調べてみたら、独活蔓って奈良時代から江戸時代末期ぐらいまで群生していたもので、今じゃ季候が変わってしまっていて、絶滅種になってしまっていたらしいんだ。
 でもまぁ、それはともかく、別に独活蔓じゃなくったって張形を作れそうな木ならわんさかある。  それに、何も今の世の中なら苦労しないでもソーセージだってあるし、茄子とか胡瓜とか野菜だってある。  そういや某風俗嬢を取材した時、ありとあらゆる野菜でオナニーしてみたことがあるって言っていた娘がいたっけ。  なすが一番よかったって。 余談だけど。

 そういえばこれも余談だけど、昭和27年12月発行の『モダン夫婦読本』って雑誌があって、その付録がなんと『家庭で簡単に出来る性具の作り方宝典』っていう小冊子だったんだよねぇ。  その中に「家庭で出来る閨房用小道具八種の作り方」ってな項目があって、なんと人参を温めて張形みたいなのを作る手順が丁寧に説明されている。  しかも、「里芋を卸し金でおろしたのにまぶしつければ適当な潤滑と刺激とで、妻の方が非常に速かに発情してくる」だって。  イイねイイね、やってみたい。  ぶん殴られるかも知れないけど。

日本の張形について、ちょっとだけょ!

 っていうわけで、ディルドが性具としていつ頃から使われるようになったかなんてわかるはずもないんだけど、 ついでだから、古い新しいは関係なくちょっと脱線して、デルドゥのいろんな使われ方や素材とか、 ディルドに関した話を羅列しちゃうことにします。

・日本の文献に出てくる古いものとしては、平安時代前期の『古語拾遺』に、「男茎形」の 記述がある。  要するに張形のことなんだけど、もっと凄いのは鎌倉末期ぐらい成立の『稚児草子絵詞』で、 木製の張形で稚児のアヌスを拡張している、絵付きの僧侶の男色を克明に描いてあるという文献だ。  ただし京都の醍醐寺三宝院秘蔵ということで、公開はされていないとのこと。

・女の自慰用として文献に現れてくるのは、やはり鎌倉末期ぐらいに編まれた艶本の祖とも言われている『袋草紙』。  高貴な尼が密かに法師を閨に引き入れて、その嬌声を隣室で聞き耳を立てていた3人の御殿女中が我慢しきれずに 「御用のもの」を取り出して用いているといった滑稽談であるらしい。  そう、張形は、昔は奥ゆかしく「御用のもの」とか「やんごとなき姿ようのもの」とか「お姿」とかよばれていたのだ。

・江戸時代の奇書『阿奈遠加志』に「男根型(おはしがた)を造るのは神代からの事で、石や木でも作り、神事に用いられていたが、 奈良朝になって、高麗百済の職人たちが呉という国から売り出される水牛の角で作り始めたのは、外観も美しく、 綿を湯に浸し、その角の空洞の部分に挿入すると温かに柔らかく膨らみ、実物とはほとんど違いがないので、 宮仕えの女たちが珍重したために、男がするという自慰(皮つるみ)を女もしてみようと、その具ばかりを用いるようになった」(舜露庵主人『秘薬秘具事典』より引用)とある。
そう、張形の高級なものは、水牛の角とか鼈甲、革などで出来ていた。  もちろんこれは高価なものなので、下級の女中とかになれば、それはそれに変わる代用物で当然ながら処理しなければならない。  大根、人参、胡瓜、焼き芋から摺子木から天狗の鼻なんてものまで使っていたみたいだ。

・ところで張形といっても大きさだけではなく、みんな一律な形をしているというわけでもない。  もちろん専門の作り手がいて、例えば「大松原流張形の図」(『秘薬秘具事典』より)には、 「ふまらづくり」「かり高つくり」「むしゃづくり」「鯱づくり」「りうせいがた」と種類があって、形だけではなく、それぞれ太さ長さの違いもあったようだ。  ちなみにそれら張形作りにモデルがあったかないかは知らないけど、江戸時代に、チンポの名器ベストテンが記されている本は 『女大楽寶開』他いっぱいあって、ついでだから代表的なものをここに書きとめておくことにしましょう。

1位 / 麩(ふ)まら...中に芯があるのは当然として、表面付近が柔らかく弾力があって女陰の肉襞にフィットする。
2位 / 雁(かり)...雁高(ヘッドが大きく張り出している)
3位 / 反(そり)...反り返った一物。  実はニューハーフ嬢の取材なんかもかなりやっていて、勃起している時のチンポを見せてもらったりしているんだけど、 そのうちの2人は天に向かってかなり反り返っていたよ。
それともう一人、これが天に向かってじゃなく、見事左の方向に向かって大きく反り返っていたんだよね。
4位 / 傘(かさ)...雁高に似てるけど、ヘッドが大きく松茸のように開いたもの。
5位 / 赤銅(しゃくどう)...赤銅色したたくましい男茎。
6位 / 白(しろ)...ふにゃまら。
7位 / 木(き)...棒状で雁がなく、やたら硬いだけのもの。
8位 / 太(ふと)...太いだけで痛いと嫌がる女性多々。
9位 / 長(なが)...板舐めともいわれ、座ると床にぶつかる程だらりと下がったもの。
10位 / すぼ...皮かむり(包茎)

※男の場合、巨根願望ってのがあるけど、毎年夏に行われるサンスポアダルト面編集部主催の「官能小説講座」で、 以前壇上に立ったことのある某有名女性作家講師が「大きいのは迷惑です」とか言ってました。  長過ぎ太すぎはいかん。やっぱり相手の穴に見合ったものじゃないと。 ぴったりが一番みたいだよ。

江戸時代ついでで、やはり江戸時代の性の指南書から、張形の使用方法を。

・片手使い...読んで字のごとし、片手でもって使うやり方なんだけど、体位はいろいろもちろんある。
・脇使い...片手使いの変形で、開股して座し、左手で右足の膝下を持ち上げ、右手に握った張形を右足の外側から廻して局所に挿入する。
・踵(きびす)掛け...足の踵に張形を紐で括りつけ、足を動かして出し入れする。 これもいろんな体位があるけど、想像してみたください。
・足使い...これも張形を踵に結わいつけてするんだけど、その踵と首とを紐で結んで、 首を反らしたり戻したりの反動を利用してするやりかた。  両手を身体の後ろに廻して支えるので、この方が楽。
・弓仕掛け...部屋の梁などに弓を結びつけ、その弦の下側に蒲団などを括りつけ、 蒲団の下に結わいつけた張形を股間に挿入して抜き差し、身体を揺すってその反動を利用する。  男に下からしがみついている感覚。
・茶臼(ちゃうす)型...蒲団を丸めて張形を上向きに結わいつけ、馬乗りに跨って腰を上下する。
・片身使い...女2人で交互に張形を入れ合う。
・本手型...片手方と同じ交互に使うのだけど、これは腰に紐で張形を結わいつけて出し入れ。  いわばぺニバンの使い方とと同じ。
・互型...これは張形そのものが双頭仕様になっていて、向きを反対にして2人同時に挿入。  よくレズのAVに出てくるのと同じ。

互型が出てきたところで、ついでにデルドゥ周辺のものも記しておくことに。

・兜形...張形の頭部だけをとったようなもの。  そう、これを亀頭部分に被せてするわけです。
・胴形...兜形とは逆に、張形の頭部を取ったようなもの。  ようするに竿の部分を強化して女を泣かせようというしろもの。
・鎧形...胴型と同じだけど、さらに胴部の周囲を格子形に刳り抜いたり、 一部を切り離して肋骨系したりして、摩擦面をもっと複雑にしたもの。
・姫泣輪...兜形と鎧形を一緒に連結させちゃった欲張りな道具。
・助け舟...要するにアシストグッズなんだけど、これは別に「アシストグッズ」の項目で触れるつもりなんで、ここでは省略。

未開民族が使ってたディルドって?

 さてさて、ところで性具としてのデルドゥがいつ頃からあったかと世界に目を戻してみる時、 タイムマシーンを持っていない人が常套にしているのが未開民族からの類推だ。  でも未開民族なら別に倫理規範もなかっただろうから自由に交わっていて必要なかったたんじゃないのなんて思われるかも知れないけど、 それはとんでもない話で、種を守るためにいろんな規範が敷かれていて部族によっては必ずしも自由であったわけではない。  むしろその方が多い。  ただアフリカ大陸からアマゾン、メラネシア原住民とかいろいろ調べた探検家、調査隊の報告をまとめた本なんかもあるけど、 少年から成人になる儀式で少年は誰でも長老のペニスを舐めなければ一人前の男にはなれないとか、タブーを破った連中を処刑するために、 一瞬にして死を招く猛毒がたっぷり塗られた鋭い60cmほどの棒を肛門から直腸に差し込まれるとか、それはそれは目を剥きたくなるような、 それだけ伝えるだけでもゲップが出てくるほどたくさんの変わった風習があり過ぎるんで、それを報告するのに手一杯で、 性具に関してなんかは、アマゾン(女戦士)がお互いそれで慰めあうこともあったとぐらいとしか書き記されていない。
 それでもベルリン性科学研究所編・清水朝雄訳『未開社会の女たち』(昭和35年刊、刀江書院)の115ページには何やら書いてあるんで、 この部分は今流行りのコピペっていうことで...、ズルしちゃおうっていうか、お茶を濁しちゃおうっと。

 バリ島の少女たちについては、ケティメンやバナナの実がそれに使われた事実が挙げられており、 同時に、木でつくり蝋を引いた器具のことも挙げられている。  この器具は、男根を模したもので、ガネムまたはチェラク=チェラカン・マレム(Tjelak = 男根、malem = 蝋)と呼ばれている。  この同じ器具は、アチエの少女たちにも用いられており(メディリン = ディリン、ディリン = 男根から)、 またダヤークの女たちのあいだでは、トリバディー(擦り具、現地語省略)の方が多く用いられていると報告されている。  こういう器具は、特にアフリカに多い。  この器具の使用は、当然、後宮制度によって既婚の女たちのあいだでも助長される。  ハウッサ族のあいだでは、この器具は「マディゴ」と呼ばれ、木でできていて、その上に皮が張られたものである。  東アフリカでは、バウマンによると、これは男根の形をした黒檀でできたばかでかい棒で、黒人やインド人の職人がこの目的のためにつくって密売しているものである。  ときどき、象牙でつくられているものも見られるという。 その形に二つある。  一つは下端に一条の溝が掘ってあり、そこに一本の綱がつけてあって、それを女の一人が身体に巻きつけていて、 もう一人の女を相手に男の行為を模倣できるようになっている。  もう一つの形のものは、両端を亀頭状に刻んであって、二人の女が坐位でその膣に挿入できるようになっている棒である。  ここでも、棒は中空になっている。  使用するときには、棒に油を塗る。  これに反して、チェク族の女たちは、動物の双頭の腓筋を乾燥させ、しかも柔軟性を保たせたガストロクネミウスを使っている。

デルドゥ、中国やイスラム圏では?

 未開民族じゃなく、もう少し海外にも目を向けて、古いということで言えば、かのインドの聖典っていうか性典『カーマ・スートラ』の教えから。  な〜んて偉そうに言ってるけど、どうもギリシャとかローマとかから始めると、まとまりがつかなくなっちゃいそうな気がして、 そうすると2日酔いの度に一から調べ直しってなったりするはず。  つまり、ややっこしいのは、後で簡単に済ましちゃおうってな魂胆があるので、まずはインドなら『カーマ・スートラ』だけで済ませちゃうことが出来そうだからまずはトップバッターになってもらっただけのこと。
 それに、幸いなことにっていうか、不幸なことにっていうか、中国に関してはスケベの宝庫、それこそ房中術・媚薬から磁器・陶器、 壁画・絵画そしていろいろな書物まで膨大な数の性に関する資料が残っているのに、意外と性具に関しての文献はあまり多くはないのだ。  「春トウ」っていう性交専用の台があったり、「美人椅」っていう性交専用の椅子があったりの文化なのにね。
 そういう言う方しちゃえば、他に類を見ない纏足の文化なんてのも凄い。  纏足がいつ始まったかは定説がないけど、南唐の後主の李Uにヨウ娘(ヨウジョウ)という宮嬪がいて、 いろいろ着飾ったりしただけじゃなく、絹の布で足をくくったり小さくなった足で舞ったり、その結果李後主に寵愛されたのでみんな真似するようになった。  宋代中期になってますます広まったのだけど、それはいいとして最初は見た目だったんだけど、それが纏足の女は感度がいいという事でやがて目的は性の対象としてに。  そう、足を小さくすると歩くのが困難、それで腰とかに負担がかかってアソコの締まりがよくなるってことらしい。  そうとわかれば、女はみんな性の道具、みんな纏足にしちゃおうって男が考えれば、女も纏足にした方がもてるしいい生活ができるって功利的に考える文化だから、 ならばってことであっちもこっちも纏足だらけ(もちろん後宮とか娼婦とかね)。  それはいいとして、凄いのは纏足の女の愛撫方法(もちろん小さい足の愛撫方法とか手順も詳細に)とか纏足の女とセックスするための専用の椅子とかそういう房中術までこと細か凄いことになっていくんだけど、 それを記すのがここでの目的ではないので、それはまたの機会に。

 で、脱線はここまでにして、さっき中国は性具の文献が少ないって書いたけど、もちろん崇拝物としての石や木や金属製の男根の造形物はたくさん残っている。  それこそ3000年前のものとか4000年以上前のものとかね。  しかも性器崇拝、生殖器崇拝とか信仰に結びついたものではあるんだろうけど、中には貝彫りとかの精巧に出来ているものもあって、 どうみても「これ、アンタ、使っただろう」って言いたくなっちゃうような出来のものもある。  でも、それが証明できないのは他の地域と一緒。
 で、中国で現在発見されている最古の性具とはっていうと、2000年前の漢代の、多くの妻妾を持ち、 子供が多いことでも歴史上有名な貴族だった中山靖王劉勝(?〜前112年)って人が設計したものらしい。  そう、いちいち妻妾の相手するのほとほと疲れちゃったんだって。  で、自分のイチモツの代打として、いろんな太さや長さの銅製のデルドゥを設計した。  中空に温水を注ぐことが出来て、本物のように力強く亀頭や筋肉が怒張するっていうスグレモノで、 しかも陰茎の尾部に小さな瘤が突き出ていてクリちゃんを刺激しちゃおうって魂胆のものだ。  まさに現在のアダルトグッズメーカーの先駆けだ。
 だけど中国では、夫婦の間で「もっと気持ちいいことしてあげる」とか、ひどい性的な抑圧を受けていて、 なら自分でやっちゃうもんとか、そんな話が性小説とか春宮画とかに少なからず描かれているように、 何千何百年来って性具が大量に使用されてきたはずなのに、あんまり現物残ってないんだってねえ。  「角(つの)先生」って呼び方するのが一番多くて、「触器」、「広東人事」、「景東人事」とか、 「勉子鈴」、「鎖陽」、「懸玉環」、「奇器包」、「三十六宮都是春」とかの呼称もあったんだけど、既に伝えられていないんだと。
 そういうことで、中国は終わり。

 で、次にイスラム圏のデルドゥについて書きたいのはやまやまなんだけど、これがまた資料ゼロ。  16世紀アラビアが生んだ世界三大性典の一つ、マホメッド・エル・ネフザウィ(立木鷹志訳)『匂える園』を読んでみたけど、 性具のセも、デルドゥのデも出てこない。  女性の手によるイスラム圏初のポルノ小説『秘められた部分』(ネジュマ著・高野優・中川潤郎訳)にももちろんね。  で、ここはお手上げ。
 もっともエジプトってなことなら事情はぜんぜん違ってくるけどね。  でも、これはギリシャとかローマとか、セックスこそ生命の証セックスいいねいいねグループに入れた方がいいんだろうな。

インドはなんてったって『カーマスートラ』!

 ってワケで、今度はヨーロッパ圏。  と思いきや、すっかりインド忘れてた。  『カーマスートラ』から行こう。  っていうか、『カーマスートラ』だけで済ましちゃおう。  だって、『カーマスートラ』って、とにかく誰とやるにはどうしろこうしろとか、どんな姑だって敵わないくらいとにかくこと細かすぎてやんなっちゃうもん。
 例えば、「第二編 性交」の目次を見てみようか(東洋文庫より)。  「大きさ、時間及び強弱に依る性交の様態」「快感の種別」「抱擁の様式」「接吻の種類」「爪傷の種類」「歯咬に関する規則」 「地方の慣習」「性交の仕方」「特殊な性交」「愛打の方法」「愛打に際して発せられるシート音に関する説明」 「女が男の位置にて行う性交」「性交の際に於ける男の行動」「口唇による性交」「性交の始と終」「性愛の種別」「愛のいさかい」。  で、今のが第二編。  第三編は「処女との交渉」、第四編が「妻妾」、第五編が「人妻」第六編が「遊女」、第七編が「秘法」と続いて、 それはそれは気が遠くなるほど懇切丁寧に心構えからやり方・作法などが書かれている。  そんなに面倒臭いなら、もうセックスなんかしないも〜んってなってもおかしくないくらい。
 というわけで、デルドゥに関して触れていても急いで通り過ぎることにする。  じゃないと、デルドゥの持ち方が悪いとか因縁つけられちゃいそうだから。  でもね、木や水牛の角、象牙などで出来ている「やんごとなきもの」を気のある女性に送る時は、 両親に知られると怒られるであろうという危惧を延べ、また他人が贈物を欲しがるということも言うべきであるってのは、そうかもね。  なんてこれ曲解してるだけだから。
 「第五編・人妻」の「第六章(48)後宮に住む妃妾の行状」に、王以外に男が入り込むことが出来ない世界では、 大奥とかも同じ、どう情欲を静めるか、で出番。  「彼女等は乳母の娘や女友達或いは女奴隷を男装せしめ、塊茎や根や果実或は他の物で男根の形を作り、 それによって自分の情欲を鎮めるべきである。また、男根が勃起した状態に作られた男子像の上に臥せるべきである。」とある。 凄いね。  その勃起した男性像とやら、見てみたい。  まさか、大人のおもちゃ屋さんで売っていた、「伊集院 健」じゃないと思うけど。  男性型のダッチワイフ、まさかタイムスリップしたりしてないよね?
 デルドゥについて詳しく載っているのは、第七編「秘法」の第二章(62)「減退した精力を回復する方法」だ。  精力の強い女を満足させることの出来ない時は、手を駆使したり、口で満足させるべしというのは今も同じ。  女を満足させる方法なんてハウツウ本は今も姿形変え繰り返し繰り返し出版されている。  場合によったら加藤鷹みたいに指で潮吹かせろとまではいかないまでも、指を酷使しろって強要されかねないし、 クン二もただ舐めればいいってもんじゃないなんて説教されたりしてね。
 でもここでの眼目は何といっても「男根の模造品を用いるべきである」という件だ。  それらは、金、銀、銅、鉄、象牙、水牛の角で作られる。  「また錫、鉛(で作り)、柔軟で冷たく、精力を増し且つ(女を満足せしめるという)目的に適ったものである」って、 それがバーブラヴィヤ派の教える模造品なんだそうだ。
 これに対し、ヴァーツヤーヤナは、「これは木で作り、夫々の人の男根と同じ大きさにすべきである」と教える...とある。  で、大きさに関してや、外面は多くの粒状の突起を作るべきとか、腰部に結び付けられるよう孔を彫るべきだとか、 いや陰茎に孔を穿った者以外はどうするとか、傷口はどうするとかSMの世界に入って行ってしまいそうなので、この辺で止めておく。  ほんとは、パソコンの説明書みたいに何だらかんだら面倒臭そうになってきたせいなんだけど。
 でも、この項目の最後の部分だけはコピペしておこうか。  「その場合、種々の形をした男根模造品を用いるべきである。即ち、円形のもの、片側が円形のもの、臼状のもの、花状のもの、 棘状のもの、烏の骨の形をしたもの、象鼻の形のもの、八日の月の形のもの、渦巻形のもの、其他理論上及び実際上から教えられる形のものなどである。 これらは度々の使用に堪えるものでなければならぬ。また用いる人の習慣で、柔らかいものであっても、或は堅いものであってもよい。 以上が、減退した精力を回復する方法である。」
 まぁ少しズレちゃった気がしないでもないけど、このくらいで。  『カーマスートラ』は、次の(63)の、「陰茎を大きくする方法」へと繋がっていくんだけど、インドのディルドの話はこれで終わり。

古代ギリシャとかローマとか...凄い圏!

 ところで、原始人の世界の話になるんだけど、男どもが狩猟に遠征している間に、留守を守っている女達は、 木とか土で男根の模型を作ってせっせとお互いを慰め合っていたんだよね、なんて想像している学者さんがいたけど、 それが祈願用に作られたものであったとしても流用しちゃったなんてことは多分普通にあったと思えるね。  でも、そうとなるとデルドゥがいつ頃からあったかなんて類推はほとんど意味をなさなくなっちゃう...。  と、途中でやんなって投げ出したくなっちゃった時の予防線を先に張っておいて、さあ、いざ古代ギリシャへGO。
 性具としては、すでに古代バビロニアの彫刻にも現れているし、エジプト、ヘロンダスのミミアンペ(紀元前300年)にも認められているんだけど、 やっぱりギリシャ、だって張形いろんな使い方されていて面白いんだもん。  3人の女がそれぞれ変化にとんだ使い方(騎乗位みたいにしてこれから入れようかという恰好をしてるのや、 舐めるのかどうか知らないけど顔にそれを近づけて亀頭部分をじっと見詰めているものとか)をしている絵とか、 一人の女がオリスボス(張形のこと)2本持って前と後ろからまるでヴァギナとアナルに突っ込もうとしてるんじゃないかって思わせるような絵とか、 それからこれからフェラチオするもんねってな絵などなど、おもろいのだけでも数え上げたら切りがなさそうなくらい。  張形の変わりにアンポラっていうでかい楽器みたいなものに跨って、窄まっている先っぽの方をヴァギナに突っ込んでいるみたいに見える笛吹き女の絵なんかもある。

 ところでさっきわざと「オリスボス」って書いたんだけど、古代ギリシャでは張形のことをそう言ってたんだって。  オリスボスは、ギリシャ語の動詞オリスベインに由来。  挿入するとか中に滑り込ませるって意味なんだって。  それから古代ギリシャのミームス作家、シラクサのソプロンの作品では、バウボーンとも呼ばれていたし、 ついでに帝政期のローマでは、ペトロニウスの『サテュリコン』の中では、「ファスキヌス」って呼ばれていた。  それから脱線ついでに「張形」っていう名前の起こりについても書いておくと、「張子形」から来ているそうだ。  つまり、以前はペニス型の張子細工に油や漆を塗ったものだったらしいんでよね。  「張子」というのはポルトガル語のハリカ、ハリコから来ているというし、またギリシャ語の、陰茎(ファロス)の訛ったものだとも言われている。

 で、このへんで得意の方向転換、っていうか誤魔化しっていうか、 さっきも入れちゃったけどギリシャだけじゃなく古代ローマもエジプトも、場合によったらトルコとかいろいろゴチャゴチャ入れちゃうかも知れないかんね。  もともと小さい時から整理整頓って苦手で、しょっちゅう母親に怒られっ放しだったくらいだから。
 というのも、旧約のエゼキエル書(十六章十七節)に「汝はわが汝にあたえし金銀の飾の品を取り、男の像を造りて、これと姦淫をおこない云々」とあって、 これは金属製の男根を作って自慰用に供したというの書いておくの、忘れそうな気がしたから。
 それと忘れてしまいそうなのをもう一つ。  スルタンの「土耳古(トルコ)医薬誌」には張形がコンスタンチノープルで公売されていたこと、バナナや胡瓜が愛用されていたことが記されていたってこと。  それと私は知らないんだけど、オマール・ハルビーっていう人の「エル・クターブ」っていう名著があって、 その中で土耳古(トルコ)婦人の同性愛の流行を否定した所に「然し親愛なる友達同志、孤独の女達、若い寡婦の間には例外として同性愛的行為が行われ、 どちらか一人が腰に張形を結びつけて、恋人或いは良人の代理をするのである」って書かれているのもあるらしい。
 でも、デルドゥ(張形)がよかったかどうかはまた別の話。  だってアリストパネスのものと思われている(アリストパネスとは特定出来ないものの、断片が残っているらしい)古喜劇の中では、二人の女が夫に「乱暴される」ので、 どうすれば夫なしで済ませられるかを議論している。  一人が、例の代用品で間に合わせたら、と言うと、もう一人は、張形が本物と似ているのは月が太陽に似ているようなもの、 つまり同じに見えるけれどぬくもりに欠けている、とこぼしたのだそうだ。
 アリストパネスっていえば『女の平和』の中で、セックス・ストライキ中の女達は自分達の決心を曲げずにいるのがむつかしく、 夫とのセックスを求めてアクロポリスから絶えずこっそり脱出しようとしている、ってあるけど、わかる。  だって、今だって女達が日比谷公園や国会議事堂前でセックス・ストライキをしたなんて話、聞いたことないもん。
 『女の平和』っていえば、戦争が勃発して以降、家からは夫たちが消え、市場からは「指の幅八本分の長さの革のおもちゃ(15cmのオリスボスのこと) が消えたって女性の主人公がいってるらしいんだけど、それで思い出した。  日本でも戦時中、銃後を守るご婦人達のために、軍は本気で張形を作ろうって話があったみたいだよ。  昔から、どこの国でも下半身事情ってのは変わらないんかも知れないね。  張形については、アリストパネスだけじゃなく、その他サッポーとかカリマコスとか、多くのギリシャ作家が言及しているみたいだよ。
 で、木製の芯を革でくるんだそのオリスボスなんだけど、腐食しやすい素材で出来ていたから当然ながら古代のものは現存していない。  だけど、現物じゃないけど、紀元300年から350年ぐらいのものと思われる張形を作るための鋳型らしきものが残っているみたいだ。  ドイツのトリーアにあるライン州立博物館で開催されたセックスに関する展覧会で、大量生産用のテラコッタ製の鋳型が展示されたらしいんだよね。  樹脂か何かを中に流し込んで作るものなんだけど、その張形の長さは何と40cmもある。  しかも血管が浮き出るようになっていたり小さな突起がリング状に配置されていたり芸が細かい。  ただ普通に女が使うオモチャなのかホモセクシュアル用のものか、はたまた男女でのお遊び用に使うものなのかはわかってないみたいだ。

 ついでだから、ここで古代エジプトの方も眺めてみようかと思ったんだけど、絵にしろ彫り物にしろ、 おいこれ何っていうぐらい性に関する品々は数多く残っているのに、これで気持ちよくなりましたって証拠になるものは何一つ残していない、 白状したあとがないっていうんだ。  祈願用以外の目的で作りましたって正直に言わないから、エジプトはこれで終わりにしちゃおう。

 替わりに、年代を辿ってもいいから、何か面白そうな話ないかなって探していたら、あった。  ギリシャやローマの性欲神パン神とかプリアプス神の男根で処女の破瓜を行う儀式があったなんて話じゃないよ。  12性器...じゃなくて12世紀の、禁欲って書かれたでっかい看板がで〜んと置かれている淫乱の宝庫 = 教会での話なんだけど、 かねてより自分達の宗派を信仰している婦人達には張形を持つのを許していたゼズイツト派ってのがあったんだって。  だけど、そりゃないよって、カプシン派の僧侶が妬んだのか本気だったのかは知らないけど、怒って法皇に訴えでたんだってさ。  で、どうなったと思う?  いやあ〜、その裁きが実に見事だったんだよねぇ。  大岡裁きなんかよっかよりもずっといい。  そう、それならゼズイツト派の婦人が持っている張形に小さな十字架を付け加えよって、まあ何ともシャレた味のある判決を下したこと。
 そこで思ったね。 これ、商売になるかも知れない。  張形じゃなく、自分の本物のペニスの根元あたりに鎖かなんかで輪になって吊るせる、何かアクセサリーみたいのを作ったら面白いんじゃないのかって。  そう、十字架じゃ拝まれただけで終わっちゃうかも知れないから、ドラえもんとかキティちゃんとかのキャラクターグッズとか、おまじないっぽいもの。  いや、少し根が張るけどダイヤモンドとはいかなくても何らかの高価な石とか何かで。  で、当然ながら、女の子は、見せて見せてってことになる。  でも、ここじゃダメ。ホテルのベッドの上じゃなきゃまずいだろってなるはず。
 よし、決めた。 そういうの作って売り出そう。  念のため言っとくけど、そういうの真似したら黙っていないからね。  特許料じゃないけど、安くしとくよ。
 なんてどうだっていいことなんだけど、最後にわりと最近(一世紀ぐらい前)の話ではあるけど、 英仏の田舎の女の子や女工さんのアソコから取れなくなって医者に駆け込んで出てきたものとか、そんな話を。
 何せ張形も16世紀の頃になるとガラス製のものが出てきたり、18世紀になるとゴム製のものが出てきたりして、 そうなると少し前の禁止素材になった塩化ビニールから現在のシリコンやエラトーマの流れまでって面倒臭そうなことになってきそうなので、 ここで尻込みしちゃうことに。
 で、その、少し前の時代の医者が披露している英仏の女子や女工さんのアソコから取り出したものというのを列挙しておくと...、
 鉛筆、封蝋棒、糸を巻いた管、ヘヤーピン、刺針、編針、針山、コンパス、硝子栓、蝋燭、コルク、コップ、歯磨楊子、小瓶、 鶏卵、菓子、豆類。その他、オナニー用いられるものとしては、甲虫、魚類、蚯蚓や、入れるものではないけど木馬、ブランコ、 裁縫器械、乗馬、或いはどう使うのか知らないけど、汽車、自動車、舞踏なんてのも列挙されている。  ほらね、アソコに入れるものなんて昔から何だってよかったのさ。
 でも、石でにしろ木でにしろほんものそっくりのものを作りたかったし入れてみたかった。  それがディルドよ。 だから、今も大人のオモチャ屋さんで売ってて売れる。  昔のディルドが日本と西洋とのでは少し違っていたとすれば、同じ張形といってもヨーロッパ中世の張形は、 だいたいが陰茎の下の方にタマタマ、つまり陰嚢を模したものもついているものがほとんどだったってことかな。

『大奥』へ行ってきました!

 さて最後にまた、日本の張形文化に戻ることにしていたんだけど、何を書こうとしてたんだっけ。  忘れちゃったよ。  仕方ないから、この辺で文献ばっかり漁ってないで、江戸時代の張形の宝庫「四つ目屋」にでも行ってみるか。  でも、どうせタイムスリップするなら、大奥の方がぜったいに面白いと思うから、え〜い、何も考えないでまずは飛んじゃえ。

 ...で、江戸時代に来た。  でも、それはいいんだけど、せっかくだから現代のバイブが江戸期の張形より素材も機能が断然優れていて、 どんなにかいいか教えてあげようと思って、ピストンタイプのバイブと、それからスイング&バイブは普通だけど素材の柔らかさが抜群で女にすごく悦ばれているバイブと二つだけ持って、 あとはさした準備もしないで単に「大奥」へって思いだけでタイムスリップしちゃったもんだから、さあ大変。  だって、いきなり将軍が寝所で今まさに真っ最中ってところに飛び込んじゃったんだもん。
 幸い、着地したところが蒲団の裾側の方のやや右のあたりだったんで、誰も私が現れたことに気が付いてないみたいだった。  将軍の布団って、敷布団なんか床下から刀なんかで突き刺されて暗殺されないように、厚さ30cmもある藁布団が2枚敷き詰められているって聞いていたけど、 そんなのもよくわからないくらい行灯の明かり弱いし、それにこっちも心臓がバクバクしていてあんまり余裕がなかったんだよなあ。  衝立を挟んで左側に寝ているはずの御添寝役の御伽坊主って女と、衝立の右側に寝て、将軍の下になって声出してよがることも禁止されている側室(御中臈)が、 よもや将軍によからぬ頼みごとをしてはいないか、会話やコトの次第を翌朝御年寄に逐一報告しなければならない御添寝役の御中臈も、 私には気が付いてないようだった。  そりゃそうだよな、右側の御中臈なんかは、将軍とエッチしたことがある御中臈の役目って決められているんだけど、 それこそ嫉妬の炎をいかに鎮めるかだけで必死だったはずだよ。
 まあ、そんな中でも、これは江戸期のいつ頃かなんて考えちゃった。  でも、わかるはずがない。  将軍のケツのかっこうを見ただけでだけで、春日局が気を揉んだくらい男好きだった家光のそれか、 やはり男好きで「美少年の大奥」まで作ろうとした綱吉のそれか、ブス好きだった吉宗のそれか、一番の好き物だったかも知れない家斉のそれかなんてわかるほど歴史に詳しくもなかったから。

 それはともかく、早いとここの部屋から逃げ出しちゃおう。  そう思ってそろりそろり後ずさり始めたのはいいんだけど、慌てていて、将軍がいる方の上段と後二人監視役が寝ているはずの下段とに段差があるのすっかり忘れていて、 危うく転がって物音たてそうになってしまったのだ。  でも、下段で寝ている将軍のお手つきではない御中臈と御年寄とは、幸いこれに気付かなかったようだ。  じっと目をつぶって、股間が疼いて仕方ないのに耐えているので精一杯だったのだろう。
 それでようやく将軍の寝所からは逃げ出せた。  でもその先、どっちに行ったらいいのか皆目わからない。  出来れば、いずれは大奥勤めをさよならっていうか卒業っていうか、奉公が終わり次第里に帰れて年金みたいのももらえる奥女中ではなく、 一生奉公の御錠口とか御小姓とか役職以上の、将軍の目に留まらなければ処女のまま生涯を終えなければならないそういう女の方が、飢えている女の方がいい。  もっとも張形を必要としている女達だからだ。  そりゃ、私が持参してきたバイブを貸してやれば、この上もなく悦ぶに違いない。  例え夜毎張形を使っている女だったとしても、平成の世のバイブのよさには、ぜんぜん違うって涙して喜んじゃうはずだ。  いや、バイブを手渡すだけじゃなく、出来ればバイブを使うの、手伝ってあげたいものだ。  そう、スイッチの切り方とかわからなくなって、慌てたりしないように。
 そう一人ニヤついてから、ハタと気が付いた。  そのバイブのビヨ〜ンっていう音で、周りのみんな、目が覚めてしまわないだろうか。  考えてみれば、もし私がここに忍び込んだのがバレたら、打ち首か何かは知らないけど、間違いなく処刑されちゃうだろう。  大奥は当然ながら男子禁制だ。  仕事柄、大奥に入ることが許されることもある老中、御留守居、側用人なんかは別として、臨時に出入りが許される畳職人とかいることはいる。  でも嘘かホントか知らないけど、入ったのは50人だったのに、出てきたのは49人だけなんて噂がたったこともあったみたいなのだ。  何しろ奥女中達は飢えている。  で、とっかえひっかえその職人を弄んだあげく、力尽きちゃって役にタタなくなったら、御台所専用のトイレに突き落としちゃったなんてこともあったとの噂が広がったこともあるのだから。  御台所のトイレといったら、一代限り、一代ごと別の場所に掘られて作られる18mも深く掘ったトイレなのだから、一度落ちたらもう浮かばれない。

 それで、今回は大奥に来たってことだけで満足することにして、ひとまず引き上げることにした。  もうちょっと、下調べ、準備をしてからまた来ればいい。  タイムスリップするの、こんなに簡単だとは思わなかった。  これならいつだって来れる。
 とまあ、ほんとは怖くなって一旦引き上げることにしたわけなんだけど、気が付いたら持参したバイブ2本、うっかり置き忘れてきちゃった。  どうしよう。 戻るにも徳川何代の時代だったのか、まるでわからない。 やばい。  時代に介入しちゃった。 歴史が変わっちゃうかも。
 そういや、もちろんもう亡くなられている方だけど大奥に女中奉公していたことのある女性がいて、江戸城引渡しで里に戻ってきた際の荷物の中に、 張形が入っていたって話を聞いたことがある。  一旦は、河口湖の方かどこかで、他のものに混ざってひっそりと展示されていたみたいだけど、そこの館主がなくなってから閉館することになって、 その奥女中だった女性の八王子にある生家に一連の荷物を戻したらしいんだ。  だけど、そういう方面の取材をしている知り合いがそれをぜひ見せてもらえないかって頼んだら、 ぜんぶダンボールの箱に入れたまま積み上げて整理もしてないので、申し訳ないけど今はとても見せられる状態にないって断られたらしい。  あれ、ほんとは江戸期の張形じゃなくて、私が江戸時代に持っていって置き忘れてきてしまった平成のバイブだったんじゃないだろうか。  そんなものが江戸時代の大奥のどこにあったんだなんて騒ぎになったら面倒なので、隠し通しているだけなのではないのだろうか。  そうだ、そうに違いない。  そのうち調べてみることによう。

 それにしても、もう張形、ヤダ〜。  夢にまで出てきそう。  だもんで、終わり。