
ディルド(張形)は昔から地球上いたるところに! |
性具としてのディルド(張形)が、いつ頃からあったかなんてことはどう逆立ちしてもわかりようがない。
例えば日本で発見されている最古の張形といえば、710年に建設された都・平城京跡から発見されたもの
(独活蔓製で、復元すれば直径が2,5〜3cm、長さが17,8cmということになるらしい)となっているけど、
それはあくまで発見されたというだけであって、最も古いというわけではない。
だけど問題なのは、それを信仰の道具として奉ったり拝んだり祭りで担いだりじゃなくて、性具としていつ頃から使ったかだ。
2メートルも3メートルもある石のチンポを、決してレズやオナニーの道具にはしなかっただろうということはわかる。
でもこれが手頃な大きさだった場合はどうか。
それとレズるにしろオナニーするにしろ、男が女に使うにしろ(一夫多妻の部族なんかでは、男が年老いてくると頻繁に何人もの女房の相手するのがきつくなって、
張形を代用したなんて記録も残っているらしい)、何も道具が石である必要はない。
むしろ木とかなんかの方が簡単に手に入るし、加工もしやすかっただろう。 そういえばこれも余談だけど、昭和27年12月発行の『モダン夫婦読本』って雑誌があって、その付録がなんと『家庭で簡単に出来る性具の作り方宝典』っていう小冊子だったんだよねぇ。 その中に「家庭で出来る閨房用小道具八種の作り方」ってな項目があって、なんと人参を温めて張形みたいなのを作る手順が丁寧に説明されている。 しかも、「里芋を卸し金でおろしたのにまぶしつければ適当な潤滑と刺激とで、妻の方が非常に速かに発情してくる」だって。 イイねイイね、やってみたい。 ぶん殴られるかも知れないけど。 |
日本の張形について、ちょっとだけょ! |
っていうわけで、ディルドが性具としていつ頃から使われるようになったかなんてわかるはずもないんだけど、 ついでだから、古い新しいは関係なくちょっと脱線して、デルドゥのいろんな使われ方や素材とか、 ディルドに関した話を羅列しちゃうことにします。 ・日本の文献に出てくる古いものとしては、平安時代前期の『古語拾遺』に、「男茎形」の 記述がある。 要するに張形のことなんだけど、もっと凄いのは鎌倉末期ぐらい成立の『稚児草子絵詞』で、 木製の張形で稚児のアヌスを拡張している、絵付きの僧侶の男色を克明に描いてあるという文献だ。 ただし京都の醍醐寺三宝院秘蔵ということで、公開はされていないとのこと。 ・女の自慰用として文献に現れてくるのは、やはり鎌倉末期ぐらいに編まれた艶本の祖とも言われている『袋草紙』。 高貴な尼が密かに法師を閨に引き入れて、その嬌声を隣室で聞き耳を立てていた3人の御殿女中が我慢しきれずに 「御用のもの」を取り出して用いているといった滑稽談であるらしい。 そう、張形は、昔は奥ゆかしく「御用のもの」とか「やんごとなき姿ようのもの」とか「お姿」とかよばれていたのだ。
・江戸時代の奇書『阿奈遠加志』に「男根型(おはしがた)を造るのは神代からの事で、石や木でも作り、神事に用いられていたが、
奈良朝になって、高麗百済の職人たちが呉という国から売り出される水牛の角で作り始めたのは、外観も美しく、
綿を湯に浸し、その角の空洞の部分に挿入すると温かに柔らかく膨らみ、実物とはほとんど違いがないので、
宮仕えの女たちが珍重したために、男がするという自慰(皮つるみ)を女もしてみようと、その具ばかりを用いるようになった」(舜露庵主人『秘薬秘具事典』より引用)とある。 ・ところで張形といっても大きさだけではなく、みんな一律な形をしているというわけでもない。 もちろん専門の作り手がいて、例えば「大松原流張形の図」(『秘薬秘具事典』より)には、 「ふまらづくり」「かり高つくり」「むしゃづくり」「鯱づくり」「りうせいがた」と種類があって、形だけではなく、それぞれ太さ長さの違いもあったようだ。 ちなみにそれら張形作りにモデルがあったかないかは知らないけど、江戸時代に、チンポの名器ベストテンが記されている本は 『女大楽寶開』他いっぱいあって、ついでだから代表的なものをここに書きとめておくことにしましょう。
1位 / 麩(ふ)まら...中に芯があるのは当然として、表面付近が柔らかく弾力があって女陰の肉襞にフィットする。 ※男の場合、巨根願望ってのがあるけど、毎年夏に行われるサンスポアダルト面編集部主催の「官能小説講座」で、 以前壇上に立ったことのある某有名女性作家講師が「大きいのは迷惑です」とか言ってました。 長過ぎ太すぎはいかん。やっぱり相手の穴に見合ったものじゃないと。 ぴったりが一番みたいだよ。 江戸時代ついでで、やはり江戸時代の性の指南書から、張形の使用方法を。
・片手使い...読んで字のごとし、片手でもって使うやり方なんだけど、体位はいろいろもちろんある。 互型が出てきたところで、ついでにデルドゥ周辺のものも記しておくことに。
・兜形...張形の頭部だけをとったようなもの。
そう、これを亀頭部分に被せてするわけです。 |
未開民族が使ってたディルドって? |
さてさて、ところで性具としてのデルドゥがいつ頃からあったかと世界に目を戻してみる時、
タイムマシーンを持っていない人が常套にしているのが未開民族からの類推だ。
でも未開民族なら別に倫理規範もなかっただろうから自由に交わっていて必要なかったたんじゃないのなんて思われるかも知れないけど、
それはとんでもない話で、種を守るためにいろんな規範が敷かれていて部族によっては必ずしも自由であったわけではない。
むしろその方が多い。
ただアフリカ大陸からアマゾン、メラネシア原住民とかいろいろ調べた探検家、調査隊の報告をまとめた本なんかもあるけど、
少年から成人になる儀式で少年は誰でも長老のペニスを舐めなければ一人前の男にはなれないとか、タブーを破った連中を処刑するために、
一瞬にして死を招く猛毒がたっぷり塗られた鋭い60cmほどの棒を肛門から直腸に差し込まれるとか、それはそれは目を剥きたくなるような、
それだけ伝えるだけでもゲップが出てくるほどたくさんの変わった風習があり過ぎるんで、それを報告するのに手一杯で、
性具に関してなんかは、アマゾン(女戦士)がお互いそれで慰めあうこともあったとぐらいとしか書き記されていない。 バリ島の少女たちについては、ケティメンやバナナの実がそれに使われた事実が挙げられており、 同時に、木でつくり蝋を引いた器具のことも挙げられている。 この器具は、男根を模したもので、ガネムまたはチェラク=チェラカン・マレム(Tjelak = 男根、malem = 蝋)と呼ばれている。 この同じ器具は、アチエの少女たちにも用いられており(メディリン = ディリン、ディリン = 男根から)、 またダヤークの女たちのあいだでは、トリバディー(擦り具、現地語省略)の方が多く用いられていると報告されている。 こういう器具は、特にアフリカに多い。 この器具の使用は、当然、後宮制度によって既婚の女たちのあいだでも助長される。 ハウッサ族のあいだでは、この器具は「マディゴ」と呼ばれ、木でできていて、その上に皮が張られたものである。 東アフリカでは、バウマンによると、これは男根の形をした黒檀でできたばかでかい棒で、黒人やインド人の職人がこの目的のためにつくって密売しているものである。 ときどき、象牙でつくられているものも見られるという。 その形に二つある。 一つは下端に一条の溝が掘ってあり、そこに一本の綱がつけてあって、それを女の一人が身体に巻きつけていて、 もう一人の女を相手に男の行為を模倣できるようになっている。 もう一つの形のものは、両端を亀頭状に刻んであって、二人の女が坐位でその膣に挿入できるようになっている棒である。 ここでも、棒は中空になっている。 使用するときには、棒に油を塗る。 これに反して、チェク族の女たちは、動物の双頭の腓筋を乾燥させ、しかも柔軟性を保たせたガストロクネミウスを使っている。 |
デルドゥ、中国やイスラム圏では? |
未開民族じゃなく、もう少し海外にも目を向けて、古いということで言えば、かのインドの聖典っていうか性典『カーマ・スートラ』の教えから。
な〜んて偉そうに言ってるけど、どうもギリシャとかローマとかから始めると、まとまりがつかなくなっちゃいそうな気がして、
そうすると2日酔いの度に一から調べ直しってなったりするはず。
つまり、ややっこしいのは、後で簡単に済ましちゃおうってな魂胆があるので、まずはインドなら『カーマ・スートラ』だけで済ませちゃうことが出来そうだからまずはトップバッターになってもらっただけのこと。
で、脱線はここまでにして、さっき中国は性具の文献が少ないって書いたけど、もちろん崇拝物としての石や木や金属製の男根の造形物はたくさん残っている。
それこそ3000年前のものとか4000年以上前のものとかね。
しかも性器崇拝、生殖器崇拝とか信仰に結びついたものではあるんだろうけど、中には貝彫りとかの精巧に出来ているものもあって、
どうみても「これ、アンタ、使っただろう」って言いたくなっちゃうような出来のものもある。
でも、それが証明できないのは他の地域と一緒。
で、次にイスラム圏のデルドゥについて書きたいのはやまやまなんだけど、これがまた資料ゼロ。
16世紀アラビアが生んだ世界三大性典の一つ、マホメッド・エル・ネフザウィ(立木鷹志訳)『匂える園』を読んでみたけど、
性具のセも、デルドゥのデも出てこない。
女性の手によるイスラム圏初のポルノ小説『秘められた部分』(ネジュマ著・高野優・中川潤郎訳)にももちろんね。
で、ここはお手上げ。 |
インドはなんてったって『カーマスートラ』! |
ってワケで、今度はヨーロッパ圏。
と思いきや、すっかりインド忘れてた。
『カーマスートラ』から行こう。
っていうか、『カーマスートラ』だけで済ましちゃおう。
だって、『カーマスートラ』って、とにかく誰とやるにはどうしろこうしろとか、どんな姑だって敵わないくらいとにかくこと細かすぎてやんなっちゃうもん。 |
古代ギリシャとかローマとか...凄い圏! |
ところで、原始人の世界の話になるんだけど、男どもが狩猟に遠征している間に、留守を守っている女達は、
木とか土で男根の模型を作ってせっせとお互いを慰め合っていたんだよね、なんて想像している学者さんがいたけど、
それが祈願用に作られたものであったとしても流用しちゃったなんてことは多分普通にあったと思えるね。
でも、そうとなるとデルドゥがいつ頃からあったかなんて類推はほとんど意味をなさなくなっちゃう...。
と、途中でやんなって投げ出したくなっちゃった時の予防線を先に張っておいて、さあ、いざ古代ギリシャへGO。 ところでさっきわざと「オリスボス」って書いたんだけど、古代ギリシャでは張形のことをそう言ってたんだって。 オリスボスは、ギリシャ語の動詞オリスベインに由来。 挿入するとか中に滑り込ませるって意味なんだって。 それから古代ギリシャのミームス作家、シラクサのソプロンの作品では、バウボーンとも呼ばれていたし、 ついでに帝政期のローマでは、ペトロニウスの『サテュリコン』の中では、「ファスキヌス」って呼ばれていた。 それから脱線ついでに「張形」っていう名前の起こりについても書いておくと、「張子形」から来ているそうだ。 つまり、以前はペニス型の張子細工に油や漆を塗ったものだったらしいんでよね。 「張子」というのはポルトガル語のハリカ、ハリコから来ているというし、またギリシャ語の、陰茎(ファロス)の訛ったものだとも言われている。
で、このへんで得意の方向転換、っていうか誤魔化しっていうか、
さっきも入れちゃったけどギリシャだけじゃなく古代ローマもエジプトも、場合によったらトルコとかいろいろゴチャゴチャ入れちゃうかも知れないかんね。
もともと小さい時から整理整頓って苦手で、しょっちゅう母親に怒られっ放しだったくらいだから。 ついでだから、ここで古代エジプトの方も眺めてみようかと思ったんだけど、絵にしろ彫り物にしろ、 おいこれ何っていうぐらい性に関する品々は数多く残っているのに、これで気持ちよくなりましたって証拠になるものは何一つ残していない、 白状したあとがないっていうんだ。 祈願用以外の目的で作りましたって正直に言わないから、エジプトはこれで終わりにしちゃおう。
替わりに、年代を辿ってもいいから、何か面白そうな話ないかなって探していたら、あった。
ギリシャやローマの性欲神パン神とかプリアプス神の男根で処女の破瓜を行う儀式があったなんて話じゃないよ。
12性器...じゃなくて12世紀の、禁欲って書かれたでっかい看板がで〜んと置かれている淫乱の宝庫 = 教会での話なんだけど、
かねてより自分達の宗派を信仰している婦人達には張形を持つのを許していたゼズイツト派ってのがあったんだって。
だけど、そりゃないよって、カプシン派の僧侶が妬んだのか本気だったのかは知らないけど、怒って法皇に訴えでたんだってさ。
で、どうなったと思う?
いやあ〜、その裁きが実に見事だったんだよねぇ。
大岡裁きなんかよっかよりもずっといい。
そう、それならゼズイツト派の婦人が持っている張形に小さな十字架を付け加えよって、まあ何ともシャレた味のある判決を下したこと。 |
『大奥』へ行ってきました! |
さて最後にまた、日本の張形文化に戻ることにしていたんだけど、何を書こうとしてたんだっけ。 忘れちゃったよ。 仕方ないから、この辺で文献ばっかり漁ってないで、江戸時代の張形の宝庫「四つ目屋」にでも行ってみるか。 でも、どうせタイムスリップするなら、大奥の方がぜったいに面白いと思うから、え〜い、何も考えないでまずは飛んじゃえ。
...で、江戸時代に来た。
でも、それはいいんだけど、せっかくだから現代のバイブが江戸期の張形より素材も機能が断然優れていて、
どんなにかいいか教えてあげようと思って、ピストンタイプのバイブと、それからスイング&バイブは普通だけど素材の柔らかさが抜群で女にすごく悦ばれているバイブと二つだけ持って、
あとはさした準備もしないで単に「大奥」へって思いだけでタイムスリップしちゃったもんだから、さあ大変。
だって、いきなり将軍が寝所で今まさに真っ最中ってところに飛び込んじゃったんだもん。
それはともかく、早いとここの部屋から逃げ出しちゃおう。
そう思ってそろりそろり後ずさり始めたのはいいんだけど、慌てていて、将軍がいる方の上段と後二人監視役が寝ているはずの下段とに段差があるのすっかり忘れていて、
危うく転がって物音たてそうになってしまったのだ。
でも、下段で寝ている将軍のお手つきではない御中臈と御年寄とは、幸いこれに気付かなかったようだ。
じっと目をつぶって、股間が疼いて仕方ないのに耐えているので精一杯だったのだろう。
それで、今回は大奥に来たってことだけで満足することにして、ひとまず引き上げることにした。
もうちょっと、下調べ、準備をしてからまた来ればいい。
タイムスリップするの、こんなに簡単だとは思わなかった。
これならいつだって来れる。 それにしても、もう張形、ヤダ〜。 夢にまで出てきそう。 だもんで、終わり。 |